【シリーズ 先を生きる】対談 未来を生き抜く教師とは(下)

eye-catch-saki-iki_2type_closeup_fin「未来を生き抜く教師」をテーマに、自立・探究型の学びを追求し続ける炭谷俊樹氏(ラーンネット・グローバルスクール代表)と、「先生発!最新のICT技術で教育現場を変えるハッカソン」でグランプリを受賞した蓑手章吾教諭(東京都小金井市立前原小学校)が、教育新聞主催の公開対談で語り合った。コーディネーターは、一般社団法人Teacher’s Lab.代表理事の宮田純也氏。


生き残るのは2つのタイプ

■未来を生き抜く教師とは、どんな教師なのか?

炭谷 2つのタイプの先生が生き残ると思います。一つは「専門性が高い先生」。子供の学びが多様化する中で、子供の知識やスキルが大人を上回る場面が増えてきました。これは学校現場でも同様で、新しいことであればあるほど、教員よりも子供の方がレベルが高いことが少なくありません。プログラミングはまさに、その典型例です。だから専門性がないと、子供に教えられない状況になっていく。

もう一つは「子供に寄り添って一人一人をサポートできる先生」です。子供が探求型の学びを実践する際、そばで見守りながら手伝う存在が必要になります。子供と対話して気持ちも感じてあげられる教師は、今後とても価値が高くなると思います。

蓑手 私もそう思いますね。とても共感できます。今まで先生の仕事だったことが、ネット上の学習システムで代替でき、それを使った子供がどんどん勉強ができるようになっていく。今まさに学校現場で起きていることです。もはや授業は教師の専売特許ではなくなっています。

ただ、新しい技術に取って代わられて、教員の必要がなくなるわけではありません。子供を先導するメンターとして必要です。子供が何か一つのことをやり始めたとき、そこに広がっている世界をもっと広げてあげるような指導が求められます。

「こんなこともある」「こんな選択肢もある」と子供一人では気付けないことを提示したり、子供が自分の学びを振り返るきっかけをつくったりするのが、これからの先生の役割になるでしょう。

炭谷 学びには、発信が不可欠です。日本では、先生の言うことが正しくて、それに対して違うことを言うとネガティブに受け取られかねない。でも本来、一人一人に意見や考えがあるはずです。

蓑手 同質性の高い社会に生きる日本人は、みんなと同じであることが当然だと思い込まされているのではないでしょうか。一人一人の顔が違うように、好みが違えば発達の早さも違います。当然、得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなことも違ってくる。でも、今の学校教育は他人と違うことが駄目だという風潮で教えます。日本の教育における、最大の問題点です。

これから先、子供に身に付けてほしい力の一つに「セルフアウェアネス」があります。「自分を知る」ということを自覚しながら学んでほしい。それを対話の中から見いだしていく教育が、教員には求められます。「君と僕の違いはここだね」と確かめ合い、互いの違いを認め合う。どちらが正しくて、どちらが普通に近いかということではなく、対話の中で互いを見いだし、自分を知ることにつなげてほしいと思います。

炭谷代表(左)と蓑手教諭(中央)、宮田代表理事
炭谷代表(左)と蓑手教諭(中央)、宮田代表理事
■子供が自分で選ぶ

炭谷 勉強でもスポーツでも遊びでも、子供が自分で選ぶことが大事なのです。自分で選択を考えると、自分は何が好きかを考えます。人から言われてやるより、自分で選んだ方がずっとやる気になる。やる気になるから集中し、情熱を注ぐ。成果が出て面白くなっていき、達成感が得られる。子供が選べる部分をたくさん作り、勉強が面白いと認識してもらえるよう、工夫する必要があります。

蓑手 探求のサイクルを回していくことが大切ですね。だが、現在の教員文化では難しい。苦手なものがあったときには、努力して克服するべきだという考えが根強くあります。こういう姿勢を取る教員は、子供の得意なところを伸ばす教育はできないだろうと思います。教育とは本来、子供の可能性を広げていくことなのに。

宮田 嫌いなことを無理やりやらせると、もっと嫌いになってしまいます。

炭谷 好きなことに打ち込めるようになれば、以前は嫌っていたことにチャレンジするエネルギーが生まれてくる。反対に嫌いなことばかりしていると、そのエネルギーが減り、得意だったことも嫌いになってしまう。好循環に持っていくか、悪循環に持っていくか。教え方次第で全然変わります。

宮田 人は自分が得意なことで社会に貢献したいはずです。それは学校の授業も同じです。

■ICT教育のレベルを引き上げるには

宮田 ICTの浸透具合はいかがでしょう。

蓑手 苦手な先生が多いのが実情です。得意な教員に集中している側面がある。教員自身がICTを日常的にツールとして使うのが、非常に重要です。私が勤める学校では、職員に一人1台、専用のiPadが配布されています。職員会議の資料をメール配信したり、クラウドに上げたりしています。日常的に使わないと、教材で使うアイデアも生まれません。

炭谷 極端に言えば、子供に教える必要はないのです。子供は勝手に学びます。子供に教えようと思ったら、自分自身が相当レベルを上げないとならない。だから先生はまず、教えようという気持ちを捨てることです。なるべく子供が伸びるように、学ぶ環境を与える。基本的に、得意な教員が担当するということでいいと思います。子供は先生に聞くよりネットで検索した方が、いろいろなことを教えてもらえると思っています。

宮田 ICTはあくまでツールであって、方法である必要はないということですね。

蓑手 ICTは筆記用具と同じように使われるべきなのです。端末を充電するのは、鉛筆を削っておくことと同じです。学習の準備であることに変わりはありません。子供にもっと開放すれば、自分たちで学んでいくはずです。


公開収録後の参加者の声

教育システムの問題を変える必要を感じました。2つのタイプの先生が生き残るというのは、その通りだと思いました。本来子供が持つ能力や個性を引き出したり、広げたりすることが必要だと感じました(女性・報道関係者)。

教員が働き方改革を望んでないのではないかという話が、すごく印象的でした。忙しさが快感になっている教員がいる。中学校の部活がその典型例です。周りは大変だと思っているけれど、本人はそうではない。部活が生きがいだという教員もいっぱいいる。特殊な労働者である教員には、働き方改革はなじまない部分もあると思いました(男性・元教員)。

将来を考える上で、選択肢の一つとして先生の仕事に興味を持っている。小学生のころから先生の仕事は大変そうだと思っていたが、話を聞いて本当に大変な仕事だと分かりました(男性・ 高校1年生)。

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