次期高校学習指導要領 改訂のポイントをどう考えるか(1)

eye-catch_1024-768_cl-up_fin溝上慎一京都大学高等教育研究開発推進センター教授

主体的・対話的で深い学び ポイントは外化の実現

現行の学習指導要領まで、教育改革の主なターゲットは義務教育としての小学校・中学校であった。高校は、教育改革にメスが入らない最後のとりでだといわれていた。今回の学習指導要領改訂で示される主体的・対話的で深い学びは、これまで主になされてきた小・中学校での言語活動、大学教育におけるアクティブラーニングを高校まで含めて刷新し、高大接続を実現すること、さらには小学校から大学まで通底する授業改革を目指すものである。

アクティブラーニングであろうと言語活動であろうと、主体的・対話的で深い学びであろうと、外せないポイントは「外化」である。外化は、この全ての用語の基調となるものである。外化は、理解すること、考えること、感じることなどを、書く・話す・発表するなどの活動を通して外に出すことである。活動だけを導入すればいいといったものではない。活動を通して外化する学びのプロセスに、さまざまに育てたい、育てなければならないポイントが埋め込まれている。

主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」の視点)は、変わる社会をにらんでの学校教育の社会的機能の見直し、つまり学校から仕事・社会へのトランジション(移行)をにらんで主唱されている。これまでのように、個の力を育てれば、将来力強く仕事・社会に移行できる状況ではなくなっている。いくら個の力が育っていても、いくら有名大学を卒業していても、協働の力の弱い者が力強く生きていける仕事・社会ではなくなっている。この現実を学校教員の多くは見落としている。何のために学校で学ぶのか。将来、仕事・社会に出てから力強く生きていくためではないのか。

溝上教授
溝上教授

外化の活動が “話す” “発表する” というように社会的に拡張されているのは、まさにトランジションをにらんで学校教育を転換させようとしているからである。主体的・対話的で深い学びでいえば、「対話的な学び」は外せない要素であり、これを外して「深い学び」に到達しても、新しい社会的状況に適応する学びとはならない。こうして、新学習指導要領の「社会に開かれた教育課程」の意味が見えてくる。

自分の言葉で外化するという活動は、その過程において、学習者の持つかなり多くの資質・能力を可視化させる。まず、外化するには、児童生徒が相当学習課題に対してモチベーションを上げていなければならない。モチベーションが低い状態では、外化など面倒くさくてとても取り組む気にならない。他者や集団の前で “話す” “発表する” のが苦手な生徒は、上記のトランジションを力強く果たせない確率が高くなる。それが可視化される。“話す” “発表する” 力はあっても傾聴力の弱い児童生徒は、いいたいことをいうだけの身勝手な “話す” “発表する” となることが珍しくない。それで仕事・社会で求められる協働学習になるはずがない。

全国の主体的・対話的で深い学びに取り組む授業を視察している。うまくいっていない授業のほとんどは、この外化の過程で可視化される児童生徒の資質・能力をうまく育てられない教員のものである。スクール形式の講義型授業で、資質・能力の弱い生徒は問題とならなかった。しかし、外化を導入すると、途端に教員の意に反する態度が露呈する。それでアクティブラーニングは無理だ、講義の方がいいという見方に戻る。

しかし、私は生徒のそのような露呈した態度こそが、彼らの大学進学後や仕事・社会に移行した後に見せる真の姿だと説いている。データでもそれが検証されてきた。将来直面する多くの困難に力強く立ち向かう生徒をしっかりと育ててほしいと願う。なお、理論や概念の最新の説明は、「溝上慎一の教育論」で行っている。併せてお読みいただければ幸いである。