【シリーズ 先を生きる】 アクティブな学びを生み出す組織の条件(1)

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アクティブ・ラーニング(AL)のような、双方向に深く学習者を考えさせる授業を、この世に増やしていくためには、学校組織もまた、変わらなければならないのではないだろうか――。企業をフィールドに人材開発、リーダーシップ教育を研究する立教大学の中原淳教授は近年、教育委員会や高校と共同で研究を行い、「アクティブラーナー」を育てる学校づくりに関わっている。そんな同教授に、企業の視点から見えてくる学校組織の問題点や、ALと働き方改革の両立の可能性を聞いた。第1回では、なぜ企業を軸足に研究してきた同教授が、学校に目を向けるようになったのか。同教授はもともと学習研究・教育研究を志していたものの、15年前に会社・組織の人材開発に研究の軸足を移した。それから15年。今また、教育現場の改善に社会貢献として取り組んでいる。全3回の連載。初回は同教授の研究半生に迫る。


 

■教育学者か経済学者か
――先生のお仕事や研究を紹介するのは、なかなか骨が折れる仕事です。先生は、何学者なんでしょうか。教育学者ですか。経営学者ですか。

僕は「教育学者」でも、「経営学者」でもありません。「自分の学問」をするだけで、「何学者」でもありません。

まず第一に、僕のことを「教育学者」という人はいません。一般に教育学者というと、公教育を支えたり、人々の間にいかに教育の機会均等を実現したりなど、「公共性(パブリシティ)」や「イコーリティ(平等性)」を追求します。教育学にとっては、これはすごく大事な理念です。しかし僕の議論は、その全てを網羅しているわけではありません。ですので、僕は「教育学者」は名乗れません。

一方、「経営学者」かというと、そうでもありません。経営学者にもいろいろありますが、基本的には「企業経営にいかに資するか」を考えます。究極的には「経営者にとってどんな便益」をもたらすかを考える学問であると認識しています。僕の研究は、必ずしも「経済合理性や便益」を追求しているわけではありません。ですので、「経営学者」も名乗れません。

僕の学問は「何学」でもないのかもしれません。むしろ「学問の枠」にはとらわれたくないのです。しかし、何にも「ポリシー」がないかというと、そうではありません。絶対に実現したいことは「現場で働く人々の、人にまつわる悩みに答え、現場に研究知見を還すこと」です。

僕の研究は、現在の学問ではなかなか捕らえきれない。けれども、社会的ニーズのある「領域」をとらえている自信はあります。「何学」ということにはとらわれず、自分の貢献できる領域で、「自分の学問」をするだけです。

「学問の枠」にはとらわれない研究がしたいと語る中原教授
「学問の枠」にはとらわれない研究がしたいと語る中原教授
■社会人の学びを科学する
――「自分の学問」とおっしゃるのは、今取り組まれている「人材開発」という研究領域なのですね。人材開発研究として、主に企業のビジネスパーソンを対象にした研究をなさっていますが、そこはまた学校の世界から見れば「独自の世界」ですよね。なぜ、企業の研究を始めたのですか。「学校や教育の研究をなぜやらないの?」ということを周囲から言われませんでしたか。

それはもう周囲から、たくさんの「ありがたいご忠告」「貴重なご指導」「ご批判」をいただきました。今でもあると思います。何で元々、教育学を研究していたのに、「学校研究から離れていくのか」とか「企業に魂を売ったのか」とか。

教育学研究の伝統的な目から見て、企業にはそもそも悪いイメージがあります。企業とは「利潤追求」だけを行っていて、「悪徳」であると。

でも誤解を恐れず言いますが、そういう方の中には、現代の企業や経営の現場や働く人々のことを、必ずしも「ご存じない方」もいらっしゃるような気がします。自分の中にある「企業のイメージ」で、今の企業や働く人々を語っている気がするのです。企業経営者、企業人事の人々、現場のマネジャーと「対話」していただければ、そのイメージが変わると思います。しかし実際には、そうしたコミュニケーション回路は閉ざされている方が多いように思います。

もちろん、残念ながら、世の中には「悪い企業」や「悪いマネージャー」はいます。「疲れている人」もいれば、「搾取されたと感じている人」もいます。でも、それは、学校の中にも「問題ある学校」がありえて、しかも先生の中にも「間違いを犯す先生」がいるのと同じことです。

企業の働く現場は、以前よりも「透明性」を増しています。従業員を搾取したり、働く人々に悪事を働いていれば、それは必ずネットや世間に露出します。人手不足の社会では、そんなことになれば労働者が集まりません。事業拡大どころか、事業継続すら不可能になります。現代社会とは「隠しておきたいものほど、隠せない社会」なのです。そして、まともな経営層や経営陣は、そのことに敏感です。

それに教育業界の人は、企業は「利益追求の合理的機関」だと思っていますが、企業は必ずしも「利益」や「合理性」では動きません。ビジネスパーソンなら同意いただけると思いますが、企業は「感情」で動きますし、「非合理性」に満ちあふれています。企業のイメージを新たに持っていただくことが重要だと思います。

僕が研究しているのは「ビジネスパーソンが働く職場で、彼らがいかに学ぶのか」ということです。「職場」というのは、「利潤を生み出す場」である一方、多くの人々にとって、人生のうちの長い時間をかけた「生活の場」でもあり、「自己実現の場」でもあるのです。普通のサラリーマンはすごく長い時間、企業という組織の中で過ごしますよね。最近は長時間労働も言われていますけど、多分、生涯で6万8千時間くらい、オフィスの中にいるんですよ。その時間、「ひたすらやらされ感」というか、働きがいも学びがいも感じられないのでは、やっていけないでしょう。そこを僕は研究したかった。

僕の人材開発研究は、「職場で仕事をすること」を、いかに「学び」と「気付き」がもたらされる場にするか――に焦点を当てています。

■仕事の中でいかに学ぶか
――教育学では「生涯学習・社会教育」という研究分野がありますよね。生涯学習という言葉には、一通り会社勤めが終わってからの趣味や、仕事とは切り離した余暇というイメージがあります。

本来そうではないのでしょうけれども、そういうイメージがあることは否定できないですね。実際に「生涯学習」とか「社会教育」の研究分野で探究されているのは、学校以外の公共施設における学びではないでしょうか。具体的には、公共施設や図書館、科学館、美術館、社会教育施設での学びですね。

もちろん、それも大事です。ですがビジネスパーソンにとって、そうした「公共施設における学び」と「日々の日常の職場における学び」のどちらがリアルかというと、後者だと思います。だから、僕はそちらを見たい。

彼らにとって、喫緊の課題だと考えられるものは「日々の仕事の中において、いかに学ぶか」という点です。しかし、そこは従来、なかなか研究されていません。企業というだけで、「学習研究」の範囲を超えてしまうところがあるのです。

――では、経営学ではどうなんですか。

経営学の見方からすれば、「世界観」がまた違うんです。経営学では、人間というのは、いわゆるヒト・モノ・カネという三つの資源の中で、一番信用が当てにならない資源であるというふうに考えられます。非常に「マネージ」が難しい。なせだか分かりますか。

――「数字にできないから」でしょうか。

まずはそうですね、成果が「数字」にしにくい。それから、ヒトには「出入り」もあります。でも一番の理由は、「今日はやる気があるけど、明日はやる気がない」というように、ヒトという資源には、パフォーマンスや価値に、日々、バラツキがあるという点です。

企業経営にとって、1万円は昨日も今日も1万円で、明日も1万円でなければ困る。でもヒトという資源は、前の日に二日酔いだったら千円になってしまうし、もっとハイポテンシャルにできれば、2万円にも3万円にもなるというふうに、振れ幅が大きい。かつ、出入りがあるので、いつ離職してしまうか分からない。

経営学にとってヒトという資源は、最もマネジメントしにくいんです。だからヒトには、なるべく俗人化しないような仕組みを整えるというのが、経営研究の根本的な考え方なんです。

でも一方で、新橋のビジネスパーソン100人に「今の悩みは何ですか」と聞いてみてください。多分、そのうちの90人ぐらいは、人間関係やモチベーションの問題、人にまつわることで悩んでいるでしょう。僕はそこを研究したいのです。経営学的には「周縁」でも、組織を生きるヒトにとっては「リアル」な問題を僕は見たい。

――ご自身の学問は「教育学でもなければ、経営学でもない」とおっしゃっていたのは、そういうことなんですね。

僕がやりたい研究は、「教育学」と「経営学」のちょうど中間に位置付くものなのかもしれません。その交点に位置付くものを研究したい。そんなニッチな研究領域は、どうせ誰も取り組まないだろうから、やってみようと。研究者としては、とてもチャレンジングであり、「萌え」ます。

その新たな領域が第三者に「何学」と呼ばれようが、僕にとっては問題ではありません。僕は自分の学問をするだけです。

学校と社会の間には大きな段差が存在する
学校と社会の間には大きな段差が存在する
■人材育成は会社に入ってからでは遅すぎる
――ずっと企業をメインにしていたのが、ここ最近、教育委員会や学校の先生と一緒に組織改革に取り組まれている。そのきっかけは、何だったのですか。

それは10年以上、企業の研究をひたすら行ってきて、企業で人事制度などを作るお手伝いをしたり、企業研修も山ほどやってきたり、経営者ともたくさん話してきたりした中で、企業内教育や人材育成の限界も思い知ったからです。

端的に思っていることの一つは、「40歳ぐらいになって、企業内でリーダーシップ研修をやるのは遅すぎないか」ということです。なぜ僕が30代や40代後半のおじさんに、「リーダーシップの取り方」や「チームの組み方について」を語らなければならないんだろう。そんな基礎的なスキルは教育機関でやってきてほしいし、変化の速い現代社会にあっては、そうでなければ間に合わないと思うんです。それでは遅いことが多いのです。

僕には、忘れられないある一人の社長の言葉があります。「今の事業展開のスピードでいくと、40歳で執行役員、35歳で部長、30歳で課長を作らなければ、グローバルな動きの中で間に合わない」という言葉です。そういう人材育成をしていかないと、世界のグローバル企業と戦えないんです。その話をさらにさかのぼれば、25歳で係長になっていなければいけない。さらに、もう大学生では、ある程度の基礎は分かっていなければいけないことになる。そういう変化のある社会では、もっと教育機関で、仕事の世界の中で必要になる経験を前倒しで経験してほしいなと思います。それは誰のためか。もちろん、企業のためでもありますが、これからを生き抜く若い方々のためです。

企業も精いっぱい、人材マネジメントの体制を整えようとしています。ただ、今のままだと社会や市場の変化が激しくて、人材育成が間に合わないのです。間に合わないときに、仕事についていけなくなるのは、未来の子供です。

そもそも、教育機関から会社・組織に入った瞬間に、すごく「段差」があると思っているんです。教育機関と大人の社会とでは、「賢さの定義」が違います。高校までは、学習指導要領の範囲内で問題が出て、一人で与えられた問題を解ければいい。これが「高校時代までの賢さ」です。でも、「リアルな大人の社会」は全部違う。高度に情報化している現代社会では、自ら解くべき課題を設定し、自ら解かなければなりません。与えられた問いを一人で解くことが「賢さ」ではなく、自分で問いを設定し、多くの人々を巻き込みながら解くことが「リアル社会における賢さ」になります。

教育機関と仕事領域がよりスムーズに接続する社会、ちょっとずつトランジションする社会を願います。それが僕が最近、教育機関の問題に再び取り組み始めた理由です。

――そういう課題を生き抜く力を持った人を「アクティブラーナー」と呼ぶのですか。日頃から「アクティブラーナーを高校時代から育てるべきだ」と主張なさっておられますが。

そうです。アクティブに物事に関わり、双方向に人とやり取りをしながら、ものを成し遂げる経験を持った人材を早急に育成する必要があります。そうした学びを実現する授業を「アクティブ・ラーニング(AL)」と呼ぼうが、「主体的で、対話的な学び」と呼ぼうが、どちらでも構いません。世の中で必要なものは、実現しなければならない。それだけのことです。

僕は散々企業の研究をやってきて、かつ、これからも最前線に立っていく中で、これからの社会は、企業の人材開発だけを探究していてはだめだと思ったんです。そのような思いを持ったときに、今から8年ほど前になりますが、京都大学の溝上慎一教授と出会い、意気投合して、共同で「大学生研究」というのを始めました。

このとき僕の立場からすれば、「企業の中」だけを研究にするのではなく、「大学から企業に至るプロセス」まで「研究の射程」を広げたんですね。研究では、さまざまな知見が出ました。いくつか、結構衝撃的な結果も出ましたが、心に残っているのは、「大学に入ったときのキャリア観は、高校時代にすでに規定されていて、ほとんど変わらない」という知見です。そのときに強く思いました。「大学じゃ、もしかすると遅いのかもしれない」と。

その頃から、いつか自分の研究の射程に高校を入れることは、頭の中に意識としてあったんです。ただ、そんな研究をはじめようにも足掛かりもないし、きっかけが見いだせないまま、時が過ぎていきました。

しかし、4年前くらいでしょうか。新しい学習指導要領で、ALが入るというニュースが流れました。大学の入試が、より思考力を問うものに変わるとも。そのとき、「これはいい機会だ」と思ったんです。

僕が言いたいことは、「ALを生涯にわたって推進できる人材=アクティブラーナー」を教育機関で育てることなのだと思いました。要するに、企業の中に入っても学び続けて、変わり続けられる人がこれまで以上に求められるだろう。積極的に人々に関わり、さまざまなフィードバックをもらえる人が求められるだろうと思いました。

その日、その週のうちに、現在の共同研究パートナーである河合塾さんに、新たな研究プロポーザルを持っていった記憶があります。「高校の研究を一緒にやりませんか」という感じです。僕と河合塾さんはすぐに意気投合し、思いを一つにすることができました。共に、「高校の学び」の研究をしようということになりました。具体的には、日本全国の高校におけるALの実践実態を、質問紙調査と定性的な取材で明らかにして、WEBで公開するプロジェクト「マナビラボ」プロジェクトを推進することになりました。

このプロジェクトにおいて、とりわけ力を入れているのは「データでものを語る」という1点です。見える化できないものはイメージできないし、新たな物事を適切に構想することはできません。これが僕たちの信念です。

これからの高校を考える上で、「今の高校」がどうなっているのか誰も分からないのに、高校の学びをどうしろと議論するのはおかしくないかと思いました。企業研究では、適切な課題解決は「見える化」からはじまる、と考えます。

一方、久しぶりにのぞいた教育業界の議論は、「私の教育論」「私の経験談」の応酬に終始してしまうところがあるような気がします。企業研究で得た経験を基に、地に足の着いた研究を、社会貢献をしていきたいと願っています。

河合塾と高校との共同研究成果をまとめた『アクティブラーナーを育てる高校』(学事出版刊)
河合塾と高校との共同研究成果をまとめた『アクティブラーナーを育てる高校』(学事出版刊)

◇ ◇ ◇

第2回では、企業と学校を比べながら、学校組織が抱える長時間労働の是正とALの実現に向けた壁を浮き彫りにする。

(藤井孝良)


中原淳(なかはら・じゅん)

立教大学経営学部教授。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人々の学習・コミュニケーション・リーダーシップについて研究している。専門は人的資源開発論・経営学習論。詳細はNAKAHARA-LAB.NET。民間企業の人材育成を研究活動の中心にしつつ、近年は、横浜市教委や高校における人材育成にも活動を広げる。一般社団法人 経営学習研究所 代表理事、特定非営利活動法人 Educe Technologies 副代表理事、特定非営利活動法人カタリバ理事。