映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』 作品に込めたメッセージとは

伝えたい言葉があるのに、言葉につまってうまく発話できずに逃げてばかりいた高校生が、友達との出会いによって自分自身と向き合い、自立への小さな一歩を踏み出す――。映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が、7月14日から全国の映画館で公開される。原作の同名漫画は、作者である押見修造氏自身の吃音(きつおん)の経験が下敷きとなっている。ただし、漫画にも映画にも「吃音」という言葉は登場しない。その理由や作品に込めた思いを、押見氏に聞いた。さまざまな悩みや苦しみを抱えながらも、自分自身と向き合っている子供たちに、教員はどんな手助けができるのだろうか。


■吃音を知ってもらう漫画にはしたくない
――この作品には、押見さんの吃音の経験がどのくらい反映されているのでしょうか。

冒頭のクラスでの自己紹介のシーンと、授業で先生に指されて、答えの言葉が出ずにクラス中で笑われてしまうところは実際に私が経験したことです。今でも覚えているのですが、確か数学の時間にどもってしまい、周りから見ると動きもおもしろかったようで、笑われてしまって。

今思えばなんてことはなかったのかもしれないけれど、そのときは、残念というか、悔しいというか、なんとも言えない気持ちになりました。私は独り言や歌であれば、普通に言葉が出てくるんです。その辺は、主人公の志乃ちゃんの設定にも生かされています。

ただ、中学の頃の友達は、私が吃音であることを「そういうものだ」というふうに接していました。思春期ということもあって、友達はあまり多くなかったのですが、彼らとは好きな音楽の話ばかりしていたように思います。

ところが、高校に入って人間関係がリセットされてしまいました。自己紹介は苦手でした。自分の名前が言いづらくて、言葉が出なくなってしまう。自己紹介でいきなり不審に思われてしまうくらいなら、無口な人を装っていた方がいい。そうなると、なるべく人に会わないように閉じこもってしまう。頭の中にはしゃべりたいことを用意しているのに、それが出てこない。自分の気持ちを伝えられないもどかしさがつらかったですね。そんなこともあり、高校1年生のときは、誰とも話さずに壁をつくって、友達もほとんどいませんでした。

高2のときに修学旅行があって、夜に泊まったホテルで、みんなで怪談話をしたんです。もともと怪談が好きだったし、暗闇で周りが見えなかったこともあり、割とおもしろく話すことができました。そのときの怪談がかなり怖かったようで、そこからだんだんと友達ができました。ただ、友達はいたにはいたのですが、作品の加代ちゃんのように、殻に閉じこもった自分を救い出してくれる友達がいたわけではないんです。だから「こんな友達がいたらよかったな」という願望も込めて描いています。

――作品や映画の中では、「吃音」という言葉は一切使われていません。その意図は何でしょうか。

まず、自分自身が当時「吃音症」であるとは知らなかったのです。「吃音」という言葉を作品で使うと、そういうものとしてしか読まれない気がしました。よくあるような障害を描いた漫画にはしたくなかったし、「吃音」を知ってもらうための啓蒙的な作品にしようという気もなかった。人によって悩み方や感じ方は違う。だから自分が吃音の代表として語りたくないと思いました。

あくまでも吃音を経験した自分の内面や感情を、ただ描きたかったというか、このように感じたのだということを知ってもらいたくて描きました。

原作者の押見修造氏

■距離感
――もしも学生の頃、医者や教員から「あなたは吃音です」と告げられ、必要な支援を受けられたら、何か変わっていたと思いますか。

とても難しいですね。うまくしゃべれないことが「吃音」なのだと認識するまで時間がかかり、それまで一人で抱え込んでいました。実は、大学でも自己紹介で同じように失敗したのです。だから、それが「吃音」だと教えてくれる人がいたら、同じ失敗を回避できたこともあるとは思う。でも一概に、それがいいとも言い切れないですね。

私の場合は、言いたいことを言えないことがエネルギーになって、蓄積して、漫画にぶつけることができた。吃音というのは、頭の中では言いたいことが完全に出来上がっているのに、アウトプットできない状態です。文章だったり、音楽だったり、あるいはスポーツだったり、何かしらの方法で、吃音であることを糧にできる場合もあると思います。吃音がある学生へは、そうしたアウトプットができるきっかけを見つけてあげられるといいのかなと思います。

――作中、担任の小川先生が志乃ちゃんに「リラックスして、ゆっくり落ち着いて話して」と言うシーンがあります。実は、吃音の人にとって、不適切なアドバイスの典型的なものだそうです。子供の成長を見守る大人や教員は、吃音の子供とどう接したり、支援したりすればいいのでしょうか。

これも「距離感」が難しいですね。先生から励まされるのも、からかわれるのもダメだし、クラス中に「みんな、気を付けてあげようね」って言われたり、気をつかわれたりするのも嫌です。そうかといって、無視されるのも嫌です。気分や吃音の症状にも波があるので、どんなふうに接してほしいかは、一定ではありません。

一方で「かまわれたくない」という気持ちもあります。ただ、例えば二人きりになって話せる機会があれば何か変わるかもしれません。私は授業中に指されるのが一番つらかったから、それを配慮してもらえたら楽だったかもしれない。でも、そうやって逃げているだけでは、本人にとってもダメで、いつか向き合わないといけないとも思います。

教員には「出口を探す手助けをしてほしい」と話す押見氏

■魔法はいらない
――ラストシーンで、加代ちゃんがライブで歌った曲の歌詞に込めた思いは。

物語を象徴するテーマを込めたのですが、1番では「魔法をください」と歌っていたのが、2番では「魔法はいらない」に変わっていきます。これは「普通になりたい」ではなく、「普通でなくてもいい」というか、そもそも「普通」自体が存在しないことを知ってもらいたいという願いが込められています。

――そのライブの後、志乃ちゃんと加代ちゃん、菊地くんとの人間関係はどう変化していったのでしょうか。

それは読者、観客の想像にお任せしたいと思っています。漫画では、卒業式の写真を飾っていますよね。思い出として飾っているということは、彼らとは現在、疎遠になっているということです。みなさんもそうだと思いますが、どんなに仲が良い関係だったとしても、その後、連絡を取り合わない人っていますよね。小学校や中・高の友人とか。自分自身もそのような経験をしてきました。

志乃と加代は、それぞれが自立する前の段階です。作品では最後まで描かれていませんが、それぞれが自分と向き合い、自立していったということも言えると思います。

――自分のコンプレックスで苦しんでいる子供たちや、彼らと接している教員にメッセージを。

私自身もかつては、「自分がこんな悩みで悲しんでいてはいけない、我慢しなければ」と思っていました。でも、自分で逃げてしまったり、卑屈になったりしてもダメです。

悩みは「理想」と「現実」のギャップから生まれてくると思います。人と比べてどうこうというものでもなくて、自分自身が向き合っていくものではないでしょうか。

さっきも言いましたが、自分自身を表現する方法は、話すだけじゃなくて、いろいろあるはずです。音楽でも、文章でも、スポーツでも、何でもいい。それを見つけられれば、苦しみからの出口はすぐそこです。先生には、そんな子供たちの出口探しを手伝ってほしいと思います。


加代と志乃はバンドを結成し、文化祭に向けて路上ライブを行う((c)押見修造/太田出版 (c)2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会)

押見修造(おしみしゅうぞう)

漫画家。2002年「真夜中のパラノイアスター」でデビュー。自身の経験を基にした「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は、太田出版で11年からウェブ連載が始まり、読者からの反響を呼び12年に単行本化。現在でもロングセラー作品として多くの人に読まれている。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

人前ではうまく話せなくなる志乃は、入学した高校での自己紹介で自分の名前が言えず、クラス中に笑われてしまう。孤立した志乃は、ひょんなことから同級生の加代と知り合い、友達になる。音楽が好きなのに音痴である加代は、志乃の歌声を聞き、加代がギターで志乃がボーカルでバンドを組み、文化祭で演奏しようと提案する。夏休みに駅前で路上ライブをすることにした二人。そこで偶然、自己紹介のときに志乃をからかった男子生徒の菊地と遭遇してしまう。

主演:南沙良(大島志乃役)、蒔田彩珠(岡崎加代役)、監督:湯浅弘章、脚本:足立紳、配給:ビターズ・エンド。7月14日より新宿武蔵野館ほか全国で順次公開。

【吃音とは】話し言葉がなめらかに出ない発話障害の一つとされ、音を繰り返したり、引き伸ばしたり、言葉を出せずに間が空いてしまったりする症状がある。発達性吃音と獲得性吃音があり、多くの場合が前者で、2~5歳に発症し、7~8割は自然に治ると言われている。発症率は5%程度で、全人口の1%程度が吃音であるとされる。

 

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