無名戦没者の生きた証し 千鳥ヶ淵墓苑が創建60年

靖国神社の第一鳥居を右手に見ながら九段坂を歩く。上り切った先にインド大使館が現れる。手前を左に折れると緑道が続いた。蝉(せみ)時雨がかまびすしい。成虫は命が尽きるまで1週間余りしかないといわれる。その蝉が、まるで生きた証しを求めて鳴く。鳴いているというより、泣いているといった感じか漂うのはなぜだろうか。10分もしないうちに東京都千代田区三番町の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に着いた。


■過去に目を閉ざす

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を閉ざすことになる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」。墓苑に足を踏み入れると、旧西ドイツのワイツゼッカー連邦大統領による34年前の演説を思い出していた。

墓苑は1959年3月、日本政府によって建設された。今年は創建60年目に当たる。第二次世界大戦中に海外で命を落とした旧日本軍人・軍属、一般邦人ら戦没者240万人の遺骨のうち、政府や旧戦友らが持ち帰ったものの、引き取り手がない遺骨36万9166柱が納められている。「無名戦没者の墓苑」と呼ばれるゆえんだ。

毎年5月に厚生労働省の主催で営まれる納骨の式典。今年は政府の遺骨収集事業によりロシア、硫黄島などで収容した1852柱が納められた。いずれも遺族に引き渡すことができなかった遺骨だ。

千代田区戦没者追悼式は千鳥ヶ淵戦没者墓苑で厳かに営まれる=2018年7月13日、千代田区提供

墓苑内の休憩所で古賀英松さん(72)が待っていてくれた。古賀さんは、参拝者向けに菊花を準備したり墓苑を清掃したりする「千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会」の理事長。「遺骨はその人が生きた証しです。名前が分からずとも、大切に扱い、敬わなければなりません。幸い、私たち日本人には遺骨信仰といったものがあります」と話す。

■高齢化

古賀さんが節目の年に憂慮するのは、戦争体験者と遺族の高齢化だ。10代前半で第二次世界大戦の終戦を体験した人はいまや、全人口のわずか4.5%にすぎない。「戦争の記憶、無名戦没者の記憶、それらが年を追うごとに失われていく。学校でも、遺骨の引き取り手がない戦争犠牲者のことは教えない。先が細くなるばかりです」。日本各地にある戦友会や遺族会の解散が相次ぎ、墓苑を慰霊で訪れる人の数が減っている。そう打ち明ける古賀さん自身、戦後生まれだ。

厚労省によると、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月以降、海外における遺骨収集が進められてきた。海外戦没者240万人のうち、127万柱の遺骨は日本に持ち帰ることができたものの、海外に散らばる遺骨は113万柱にも上る。

いつになったら一つ残らず、遺骨を収集・収容できるのか。戦渦はそれほどまでに大きかったのだ。

「日本国のために異国の地で亡くなった人々のこと、特にその無念さを考えると、遺骨を全部集め、遺族の元に引き渡さなければならない。それができないものは墓苑に引き取る。それこそ、生きている私たちの務め、責任ではないでしょうか」

戦没者の遺骨収集を国の責務と位置付ける「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」が2016年3月に成立した。24年度までは、遺骨収集の集中実施期間に指定された。とはいえ、いまだに海外にある遺骨は113万柱。その重さは計り知れない。

「慰霊の継承を若い世代にぜひ考えてもらいたい」と話す古賀英松さん
■故郷に戻れないお骨

墓苑に納められた遺骨のことを詩人の石川逸子さんは「故国には戻ったが故郷には戻れない骨たち」(詩集「定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか」)と呼ぶ。「今もなお、海外に放置されている遺骨は、軍人・軍属だけでも百万人を超えるといわれます。そのなかには、日本に植民地支配されたがゆえに、強制的に連行され、二度と故国にもどれなかった、あまたの朝鮮人、台湾人もいるでしょう」とあとがきに記す。戦争による被害と加害。その間を遺骨は揺れ動く。祖国と故郷が同じとは限らない人たちがいる。軍人・軍属ではない婦女子の遺骨も墓苑には含まれている。無名なればこそ、丁寧にかつ平等に扱われている。

石川さんは、つえをついて千鳥ヶ淵の緑道を歩いて来る白髪の老女を詩にうたっている。「〈お会いになれたのでしょうか〉 すれ違うとき 心のなかで尋ねてみた 〈いいえ 毎日毎日通ってくるのに あの子は応えてくれません〉 千鳥ヶ淵にはやはり居ないのでは 〈あなたは恐ろしいことを言って〉 かっとおばあさまは目をむきました 『長いこと それは長いこと あの子は泥のなかにいたのです あの子の耳がきこえるようになるのは どんなに時が必要か』」。こうした情景が今も、墓苑で繰り返されている。

墓苑からわずか700メートルほど北北西にある靖国神社。今年6月、創建から150年目を迎えた。日本人が靖国神社に神として祀(まつ)られるためには、天皇陛下のために「名誉の戦死」を遂げる必要があった。このため英霊は軍人・軍属に原則、限られる。祀られたみ霊の数は246万6千余柱。うち213万柱以上が大戦の戦死者から成る。その中には日本を戦禍に導いたとして、戦後の東京裁判でA級戦犯に問われ絞首刑となった東条英機元首相ら14人が含まれる。

「外に目を向けると同時に内に目を向けることもグローバル時代には必要だと思います」と話す高橋省司さん
■平和都市宣言

7月13日は関東でお盆の入り。この日に合わせて墓苑で毎年、地元・東京都千代田区主催の戦没者追悼式が開かれる。区職員の手弁当から始まった追悼式は今年、53回を数えた。恒久平和の実現を誓う「国際平和都市千代田区宣言」を発表した95年から、開催に弾みが付き、今では区立九段中等教育学校の吹奏楽部が参加する。

宣言は伝える。「過去 私たちは 戦争を経験した 多くの人びとが傷つき 犠牲となった 二度と戦争が起こることのないように かたく誓い いつまでも 後世に伝えていこう」と。

区は宣言に合わせ、区内在住・在学の中高生らを中心に「平和使節団」を毎年結成し、沖縄・鹿児島、広島、長崎にそれぞれ派遣する。枠は15人。戦争・被爆体験を被害者から直接聞き、戦跡を見学することで、平和の大切さを実感してもらうのが目的だ。これまでに延べ300人以上が加わった。派遣後は報告会も開かれ、参加者は自らが学び理解したことを区民に伝えなければならない。「自分の周囲に戦争体験者が全く居ない中高生らの参加が目立ち、今年度は募集人数ぎりぎりの応募だった」と区国際平和・男女平等人権課は説明する。戦争体験の風化が確実に進む一方、戦争体験を学ぶことに意欲的な若い世代も育ちつつある。「中高生に戦争の知識を得てもらうことはもちろん、被害者の体験談を聞いて感じたこと、伝わってきたこと、考えたこと、そうした生の温度を肌で感じ取ってほしいのです」と武笠真由美課長は語る。

墓苑で7月13日に開かれた区の追悼式で、九段中等教育学校の吹奏楽部員70人余が取り上げたのは合唱曲「夜明け」。作詞は北海道旭川商業高校吹奏楽部の関係者。顧問の高橋省司教諭(47)が選んだ。「戦争は遠い過去のものになっています。だからこそ、選曲で心掛けたのは深い追悼の気持ちを表す曲です。平和への願いを心に込めて演奏し、合唱する。墓苑の経緯や深い意味を生徒に話す機会はほとんどありませんが、参列者のご遺族のことは伝えられます。生徒たちもご遺族のあいさつを聞き、厳粛な気持ちになっていました」と打ち明ける。合唱曲は「あなたに会えて自分が見えた いつもあなたが包んでくれた その大きな心で」で始まる。生徒たちと無名戦没者との一期一会にこれほどふさわしい曲はないと高橋教諭は考えている。あなたが居て、私が居る。私が居て、あなたが居る。そこに希望が芽生える――。生徒たちの合唱は過去と現在と未来を真っすぐにつないでいる。

沖縄県糸満市で遺骨収集に当たる北村奈織香さん=2018年2月8日、北村さん提供
■大学生の遺骨収集

若者が戦没者の遺骨収集を通じて平和と戦争を考える「JYMA日本青年遺骨収集団」。67年6月に「学生慰霊団」として発足以来、延べ2千人の学生や社会人が活動に参加してきた。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部4年生、北村奈織香さん(22)もその一人だ。テレビで放送された遺骨収容のニュースを偶然目にして関心を持った。15年1月のことだ。インターネットを検索し、JYMAの活動を知った。すぐに活動に飛び込み、翌2月からこれまで国内外11カ所でヘルメットをかぶり軍手をはめ作業した。沖縄県糸満市、グアム、ロシア・イルクーツク、パプアニューギニア、旧トラック諸島…。強烈な体験がもともとあったわけではない。パプアニューギニアに送られた曽祖父(そうそふ)の遺骨が戻っていないことは聞かされていた。祖母は朝鮮半島からの引き揚げ者だ。「戦争や安全保障問題に興味があった程度です。私でも遺骨収集事業に参加できるんだと知り、タイミングが合ったという感じでメンバーになりました」と北村さんは話す。

遺骨収集を通じて北村さんが感じたことがある。戦没者の遺骨が戻って来ない限り、家族は身内の死を受け入れられず、戦争状態が続いているという事実だ。「海外の戦没者は皆、その場所で死ぬということを受け入れてはいないはずです。誰からも顧みられず、黙って朽ち果てていくことを認めてはいない。お骨が返ってこない遺族は、戦後もずっと中ぶらりんの状態です。それでいいのか、と考えると純粋に悲しいです」と口にした。

収集できていない海外の遺骨も、墓苑に眠る無名戦没者の遺骨も、遺骨を手にできない遺族も、そして北村さんも、終戦を迎えられていない。

千鳥ヶ淵緑道の桜の木の下に蝉の抜け殻と死骸がいくつも転がっている。九段下に向かう背中に生きた証しを求める蝉時雨がいつまでも、どこまでも追い駆けてくるようだった。(編集委員・谷 俊宏)

【記者メモ】千鳥ケ淵戦没者墓苑の開苑は毎日。時間は4~9月が午前9時から午後5時まで。10~3月が午前9時から午後4時まで。無料。参拝者が多いのは桜の開花時期、7月のお盆、8月の終戦記念日、春・秋のお彼岸の期間。5月の最終週の月曜日に厚労省主催の拝礼式が営まれ、遺族に引き渡すことのできなかった遺骨が納められる。10月中旬には秋季慰霊祭が開かれ、春と秋には茶会も催される。広さ1.6ヘクタール。六角形の納骨堂は六角堂と呼ばれる。六部屋に分けた地下室が設けられ、金銅製の納骨壺に遺骨が安置されている。遺骨の収容や引き渡し式に関する問い合わせは、電話03(3261)6700、千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会。