「傲慢さが生徒の自死を招いた」 元教諭の終わらない苦しみ

2017年、357人の小・中・高校生が自殺で亡くなった――。小学生11人、中学生108人、高校生238人。自殺者数は日本全体では減っていても、小・中・高校生では微増している。15~19歳の死因は自殺が1位だという(厚労省調べ)。

全体の自殺者数/小・中・高校生の自殺者数(警察庁統計より作成)

子供の自殺について分析する福永龍繁・東京都監察医務院院長は「10代の自殺は動機が分からないことが多い」と対策の難しさを話す。本特集では、生徒の自死を経験した教員のその後や、専門機関が調査した子供の悩みの実態などをもとに、悲劇の防止に向けて考える。第1回は、教員になって3年目、29歳で女子生徒Aさん(当時17歳)の自死を経験し、20年たった今も後悔と自責の念に苦しみ続けるB元教諭に話を聞いた。

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■初任校での悲劇

B元教諭は5度目の採用試験で合格。教科は英語だが、教員を志した理由は「バスケットボール部の顧問がしたくて」。教員3年目には担任していた2年生のクラスで唯一のバスケ部員が、後に自殺という悲しい決断をするAさんだった。「いつも周りを思いやる優しい子で、部活にも休まず参加してとても熱心だった」という。

3年生が引退し、5人しかいない2年生が主軸になると、試合中のAさんのミスが目立ち出した。「負けが続くと生徒の心がすさみ、楽しむ気持ちを失う。一つでも多く勝たせて、成功体験を積ませたい」と思ったB元教諭は、Aさんを厳しく指導し始めた。

教員3年目で念願のバスケ部正顧問になったB元教諭は、毎日懸命に指導に取り組み、「チームのため、生徒のため」と心を鬼にしてAさんを叱った。いつしか他の部員もAさんに厳しい言葉をかけるようになり、部活の時間以外でもバスケ部員と共にいたAさんが休み時間を一人で過ごすようになっていた。

「今はつらくてもこれをバネにして、いつか『この5人で頑張ってきてよかった』と思うようになる」。そう信じ、B元教諭は指導を続けた。「全員に対して厳しく指導していたが、Aさんには特にきつくなってしまった。それが本人にとってもチームにとってもプラスになると思い込んでいた」と当時を振り返る。

実際、チームは力をつけて大会などでも結果を残せるようになり、部活動報告会や学校説明会でも他の模範として紹介されるほど期待されるようになった。「部員や保護者、管理職などから『B先生になって女子バスケはよくなった』と言われると本当にうれしかった。認められたいという思いも強すぎた」と話し、「己の若さ、愚かさが恥ずかしい」と述懐する。

12月、期末試験が終わって部活が再開しても、Aさんは部活に来なかった。もちろん心配したが、成績処理や冬休みの課題作り、センター試験の補講に修学旅行の準備と、押し寄せる校務で忙殺された。中旬に入って仕事にめどが立ち、Aさんとゆっくり話そうと思っていたある日、沈痛な面持ちの教頭に声をかけられ校長室へ向かった。そこで突きつけられたのは「Aさんが昨夜、自室で首をつって亡くなった」という信じがたい事実。口をついて出たのは「そんな…」という呻(うめ)きのような言葉だけだった。

■「教員としての何かが死んだ」

すぐに校長らとAさん宅へ向かった。教頭から「まだ何も分かっていないのだから、謝ってはいけない」と言われていたが、沈みきった家族の様子にもとより言葉は出なかった。

その後毎日Aさん宅を訪問し、ひたすら遺影に頭を下げる日々。ある日、自死した日のことをAさんの母が語った。

「あの子と妹で言い合いになって、借りたものを返さなかった妹の方が悪かったのに、あの子に『赤点とったくせに! 部活もやめちゃったくせに! 偉そうにしないでよ』と心ないことを言ったのです。私もつい、あの子には勉強も部活も頑張ってほしかったから、妹の肩を持つようなことを…」

おえつで声が途切れたという。妹は自室から出てこられないでいた。B元教諭だけでなく、誰もが自分を責めて苦しんでいた。

県教委に呼び出され聞き取りを受けたが、重視しているのは「いじめや体罰、暴言がなかったか」「報道発表はないか」だけだと感じた。自死するほどのAさんの苦しみや、B元教諭の指導にかける思いには何一つ関心がないようだった。「激務に文句も言わず、休日返上で仕事に打ち込み、懸命に生徒や保護者と向き合ってきた報いがこれか」と打ちのめされた。

「やる気を出すのはやめよう」。1月から精神面の不調を理由に休職、4月には約50km離れた高校に異動。それからは生徒や保護者に深入りすることを避け、必要最低限の仕事だけをこなすようになった。担任もバスケ部顧問ももう回ってこなかった。結婚し子供も生まれたが、Aさんのことは今も妻にも話せないでいるという。

教員20年目、定年退職した他の教員の門出を祝うパーティーがあった。出席したものの途中退出したB元教諭は、会場を出て妻にメールを送りながら、喫煙スペースにいた若手教員の会話を耳にした。「定年退職って、こんなに盛大に祝ってもらえるんだ」という単純な感想から始まり、一人が「B先生だったら誰も祝わないんじゃない」と口にし、他の教員も同意した。

B元教諭は激しいショックを受けると同時に、ショックを受けたことにも驚いた。「若手の連中からどう見られているか、現実を突きつけられた。とはいえ今更もう必死だった頃の自分には戻れない」

そう思ったB元教諭は転職を決意した。「学校での勤務をますますおろそかにしての転職活動だった」と自嘲気味にいう。数カ月後、県内の教材作成会社に採用が決まった。

「今はもう熱意がなくても誰からも非難されない。だからといって、気は晴れない。Aさんが亡くなったことを知った日、教員としての何かが死んだ。それからはずっと心に雲がかかっているようだ」と語る。

■取り返しのつかない過ち

「教員というのは業が深い仕事」とB元教諭はいう。「どんなに若くて未熟でも、教員は子供たちに大きな影響を与える。しかし教員は多くが自信家で傲慢(ごうまん)。自分がやったこと、やらなかったことで、子供を死ぬほど追い詰めるなどとは思っていない」と悲しげに話す。「あとで何とでもなる」という楽観視や、「あの子たちなら分かってくれる」といった甘えも、事態を悪化させる。

教員との関わりだけが子供を死に至らしめる原因ではないにしても、死のうとする状態に追い詰める一因にはなりうる。教員など大人から見ればささいなことでも、子供にとっては重大事態。複合的な要因が重なれば自死はいつでも起こりうる。いつでも学校、家庭が一丸となって対処しなければならない。「大げさに騒ぎすぎ」などと遠慮していては、取り返しのつかない結果を招く。

B元教諭が「必要だ」と考えた指導や、「必要ない」と考えた温かい言葉の欠如は、結果としてAさんを自死に追い詰めた。それはAさんの洋々たる前途を絶ってしまっただけでなく、Aさんの家族を悲嘆にくれさせ、B元教諭の教員人生に幕を下ろさせることとなった。20年たった今もB元教諭の地獄のような苦しみは終わらない。

「過去に戻れたら。あの子の命を守るためだったら何だってするのに」――。

(小松 亜由子)