現地ルポ 豪雨被害の倉敷・真備を訪ねる 再開へと動き出す学校

黒板の日付は7月6日のままだった――。同日深夜から早朝にかけて、西日本豪雨が岡山県倉敷市真備地区を襲った。近くを流れる小田川などの堤防が決壊し、地区の中心部が浸水。現在もインフラの復旧作業や避難生活が続いている。同市では9月3日からの授業再開に向け、被災した小・中学校について、一時的な間借り教室の確保やプレハブ校舎の建設を進めている。夏休み中、避難所となっている学校では、子供たちのための学習教室も開設された。豪雨被害から1カ月が過ぎた頃、学校再開に向けて動き出した現場を訪ねた。


■逆さまに転がるグランドピアノ

8月10日、JR倉敷駅から車で30分ほどかけて真備地区へ向かった。山あいののどかな田園地帯が広がっていたはずが、小田川を橋で越えた瞬間、風景が一変した。道端に積み上げられた壊れた家具、窓という窓を開けた家々、車から降りると、土埃(ぼこり)とまだかすかに水の臭いがする。炎天下の中で連日、急ピッチでの復旧作業が進められ、夏休みに入り多くのボランティアも加わっていたが、元の生活を取り戻すまでにはまだ時間がかかりそうだ。

真備地区の中心部にあり、堤防決壊地点にも近かった倉敷市立箭田小学校(大﨑卓己校長、児童数287人)は、一晩で校舎の2階床上80センチ付近まで水に浸かった。同地区で最も被害の大きかった学校の一つだ。同校の大﨑校長に被災した校舎を案内してもらった。

鍵のかかった教室を開けてもらうと、部屋中にこもる湿気が身を包んだ。天井にはおびただしい黒い斑点が広がっている。建物に染み込んだ水分とこの夏の暑さによって、一気にカビが広がってしまったのだ。中庭にある飼育小屋では児童が大切に世話をしていたウサギが飼われていたが、助け出すことはできなかった。2階の教室の黒板には、7月6日の日直当番の名前が残されたまま。体育館では、ステージ前のグランドピアノが逆さまになって横たわっていた。大人数人がかりでも移動するのに難渋するほどのものが、水によって浮き上がり流されていく。その光景は改めて水の力のすさまじさを物語っていた。

■緊急連絡先も水の中に
被災直後の箭田小学校(7月7日朝)

真備地区が水害にあいやすい地形だということは、住民や大﨑校長も以前から認識していたという。2年前に箭田地区の町づくり推進協議会によって、校舎の2階部分の外壁に小田川の堤防の高さを示す赤いラインが引かれた。「いざ小田川が決壊すればこの高さまで水が来る」その危険性を意味する目印だ。毎年の全校遠足でも、水害時の避難場所になっている近くの丘の神社に立ち寄るなどの指導をしていた。

大雨警報が発令された7月6日は朝から休校となり、ほとんどの児童は自宅にいた。日付が変わる頃、同校近くの小田川や高馬川の堤防が相次いで決壊。真備地区の中心部は流入する大量の水に飲み込まれた。

7日に浸水した学校を見て大﨑校長は言葉を失った。一体、何から手を付ければよいのか――。大﨑校長が撮影した当時の写真を見ると、グラウンドや校舎の1階、プールなど、記者がいま立っている場所、目に見えているもののほとんどが濁った水の下だったのが分かる。わずかに校舎の屋上や体育館の屋根だけが、船のように浮かんで見えるだけだ。水はあの赤いラインのすぐ下まで届いていた。

体育館では巨大なグランドピアノも流された

被害状況を把握し、児童の安否確認をするだけでも1週間近くを要した。緊急連絡先などの個人情報が入った耐火書庫は1階の職員室にあったために水に浸かってしまった。市の情報配信サービス「倉敷eこねっと」を使って何とか安否確認を行い、電話の数も限られる中、教員が代わる代わる児童の避難先の特定や詳しい状況を調べていった。

大﨑校長は「児童も教職員もすぐに連絡が取れる状態ではなかった。緊急連絡先は持ち出し厳禁で厳重に管理をしなければならないものではあるが、いざという時のバックアップがあったら、安否確認はもっとスムーズにできたかもしれない」と振り返った。

■一日も早く学校の機能を取り戻す

水が完全に引き、備品の処理手続きなどにめどが付いた7月20日から、市内の学校の教職員が交代で駆け付け、多い日は100人近い体制でゴミの搬出や片付け作業を行った。残っていたわずかな楽器や理科器具、電子黒板などを除き、学校備品のほとんどが使えなくなった。特に教職員のパソコンが壊れ、教材プリントなどのファイルが失われてしまったのは痛手だ。

同校は9月から、同市立玉島小学校とその向かいにある岡山県立玉島高校の空き教室を間借りして再開する。10月には真備地区内にある同市立二万小学校のグラウンドに建設中のプレハブ校舎に移る計画だ。現在は玉島小の会議室が臨時職員室となり、再開に向けた準備が始まっている。児童の避難先は市内全域に広がっているため、スクールバスによる通学を強いられる。避難先によっては通学に1時間ほどかかる見込みで、慣れないバス通学は児童のストレスになることも懸念される。

プレハブ校舎には特別教室は設置されず、二万小と共有になる。体育や理科など一部の授業で制約が出ることは避けられない。児童の心のケアも長期的な課題だ。

校舎の被害状況を説明する大﨑校長

大﨑校長は「たとえプレハブでも、自分たちの学校があるということが大事だ。一日も早く、学校の機能を取り戻したい」と力強く語る。

8月28日にはスクールバスの運行試験も兼ねて、玉島小で学校登校日を迎えることができた。その中には転校を余儀なくする児童もいた。「水害からそのまま夏休みに入ってしまったので、お別れ会もできなかった。『残る者も出る者も、お互い頑張ろう』。そういう機会になれば」と大﨑校長は話す。

■みんなの学習教室

倉敷市では、現在も市内の学校や公民館などに避難所が開設されている。真備地区から10キロほど離れた臨海部の水島地区には、取材当時300人以上が避難していた。倉敷市は8月1日から10日までの間、同市立福田中学校に「みんなの学習教室」を開設。水島地区に避難し、学習教室の利用を希望する小・中学生をバスで送迎した。

午前9時前、同校に到着した1台の観光バスから10人ほどの子供たちが下りてきた。子供たちは慣れた様子で小学生と中学生の教室に分かれ、学校の夏休みの宿題を中心に自習する。なかなか集中力の続かない小学生とは対照的に、中学生は黙々とワークブックの問題に取り組んでいる。

学習支援をする高校生ボランティア

分からないところがあれば、同校の教員をはじめ、ボランティアのNPO団体スタッフや高校生が寄り添う。その一人、岡山県立古城池高校2年の保田美羽さんは小学校教員を目指しているといい、「高校で募金活動も行われたが、自分も何かできればと思った」とボランティアに参加した動機を話した。

途中、30分ほどの長めの休憩時間になると子供たちは図書館に移動し、思い思いに本を読んだり、遊んだりして過ごしていた。子供たちにとって、図書館で過ごすつかの間の休息は大きな楽しみのようだ。

同校学校司書の廣田真希子さんは学習教室の期間中、子供たちのために折り紙などを使った工作ワークショップや本の読み聞かせをしたり、避難所に本がない中学生に本を貸し出したりした。廣田さんは「図書館を開いていると子供たちは喜んで飛び込んでくれる。図書館の存在が子供たちの気持ちに応える居場所になっている」と語った。

学習教室に参加した中学生にも話を聞いた。

兄弟で学習教室に通っていた倉敷市立真備東中学校3年生の瀧上夢希翔(ゆきと)くんと同1年生の愛希翔(あきと)くんは、9月ごろに真備地区から市内の別地区に引っ越す。そこから同市立霞丘小学校の敷地内のプレハブ校舎で再開する真備東中に通学する予定だという。

夢希翔くんは「通っていた学習塾も被害にあい、受験勉強に影響するかもしれない」と不安を口にした。サッカー部の愛希翔くんも「プレハブ校舎だとグラウンドのスペースがないので、部活動や体育会が十分にできるか分からない」と表情を曇らせた。

同市立真備中学校3年生で美術部の水川真穂さんは「学校が再開し、友達と会えるのが楽しみ。中学校生活最後の文化祭でクラスの思い出を作りたい」と期待を語った。

止まっていた時間が、少しずつ動き出そうとしていた。

(藤井孝良)