「学びを変える学校の開き方」 教員は社会に取り残されたままでよいのか(上)


経済、コミュニケーション、技術――、社会の変容は目まぐるしい。一方、教育現場、学校教育は100年以上、大きな変化がないのが現状だ。学校教育は社会とつながっていなければならないという信念の下、画期的な改革を行う東京都千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長と、都立武蔵高等学校・附属中学校の山本崇雄教諭、そしてパブリック・リレーションズの専門家で、社会情勢に詳しい井之上パブリックリレーションズ代表取締役会長兼CEOの井之上喬氏の3人が、「学びを変える『学校の開き方』」をテーマに討論した。コーディネーターはTeacher’s Lab.代表理事の宮田純也氏。全3回。


■「手をかけること」を手放す

宮田 まず、自己紹介からお願いします。

工藤勇一校長

工藤 麹町中学校の校長をしている工藤です。数学の教員です。最初は5年間、山形で教員をして、東京に参り、それから30年たちます。都教委、目黒、新宿区教委と行政に10年いて、その後、麹町中の校長になり、いま5年目です。

私がやろうとしているのは、すごくシンプルなことです。まずは「何のために学校があって、何のために教育しているのか」という点をぶれさせずに仕事する。実は今日うちの生徒も来ています。この子をはじめとした生徒が世の中に出て自律して、自ら考えて、判断して、決定して、行動できる。そういう人間になってほしいと思い教育をしています。

こんなこと叫ぶ人はたくさんいますよね? だけどそれを本当にぶれずにやるのは、なかなか難しい。世の中の大半の人が手段や、細かいことにこだわりがちだからです。

例えば学力を上げることにこだわると、周りの大人がこれでもかと子供に手をかける。でもさっき目的にあげた「自律した人間」からは、かけ離れます。手をかけ続けていくと、子供は自律する機会をどんどん奪われて、そこでうまくいかないことがあると、必ず手をかけてくれない人を恨むようになります。これが学校だと、「あの先生は教え方が悪いよね」となるのです。

私が思うに、日本中の教育がいまこんな感じです。皆が目的を忘れ、手段にこだわって、いびつな世界になっている。何のためにやっているか分からないのに、ひたすら忍耐や礼儀だけを中心に回している。何のためにやっているかを悩まず大人になると当然、自律できず、組織や他人の批判をして、改善できないのは誰かのせいだと文句を言う世界になっていきます。

だから皆さんには、教育をシンプルに考えてほしい。子供時代に何のためにやるかを徹底的に分かって育つと、彼らが大人になったとき社会はきっと変わります。政治も、会社も、いろいろなものが変わるのです。教員は新しい世界を作れる仕事です。そういったことを広める仕事をしているのが僕です。

山本 中高一貫校である都立武蔵高校附属中学校で教員をしている、山本です。専門は英語です。もともとは足立区の中学校からスタートして、すごく荒れた学校でしたね…。つまらない授業をすると、「お前の授業は退屈だ」と本当に言ってくれる生徒たちで、そこでもまれました。それから同じ足立区や大田区の学校を経験し、都が中高一貫校をつくるところで両国高校附属中学校に異動しました。

その頃は、英語の授業改善では全て英語を使って教えることが第一段階として求められていました。私も先輩方に手順や方法をたたき込まれました。実際その方式の授業をずっとやっていましたが、ものすごく自分の中で違和感がありました。英語だけで授業をすると、一見生徒たちは活発で楽しそうに見えますが、私自身がへとへとになって変な疲労感があった。

その後、縁があって、ケンブリッジ大学で英語の授業法を学ぶ機会がありました。そこで私の授業を披露したところ、「君は教えすぎだ」と言われたのです。教えすぎているから、子供たちは失敗できないし、チャレンジもできないと指摘されました。

そこから「手をかけて教える」ことを少しずつ手放しました。両国では中1から高3までの6年間を学年主任として、「教えない授業」のコンセプトで運営しました。アクティブ・ラーニングの手法も取り入れていたので、一時期メディアにも取り上げられました。今も基本的には教えません。教えるのは「学び方」です。子供たちが学び方を手に入れたとき、自分たちの学びが社会とつながったとき、ちゃんとやりたいことに火がつくと知っているからです。そうなったら教員は教える必要はなく、学び方とその先をつなげてあげて、励ましてあげる。教師はそんな役割だというのが、私の考えです。

井之上喬CEO
■ハイパー・グローバリゼーション

井之上 私はお二方とは少し毛色が違い、中高の教員ではありません。これまで、パブリック・リレーションズの実務の傍ら、早稲田大学や京都大学大学院、国際教養大学などで、次世代リーダー育成のためのパブリック・リレーションズを教えてきました。パブリック・リレーションズとは、個人や組織が最短距離で目的や目標を達するための、コミュニケーションをつかった関係構築活動のこと。倫理観や双方向性コミュニケーション、自己修正のうえに成り立っているものです。

SNSの登場はフェイク情報を抱合したネット社会を生み出し、コミュニケーションのあり方にも大きな影響を与えています。IoTやAIの進化は、コンピューターが人の頭脳を追い越すといわれるシンギュラリティの到来を呼び込み、業界地図を大きく変容させようとしていて、自動車産業などは、異業種から参入したグーグルやアップルが新たなプレーヤーとして主役の地位をうかがっています。

野村総合研究所は、10~20年後、国内労働人口の49%に当たる職業が人工知能やロボットで代替される可能性が高いと試算しており、ネット時代に目まぐるしく変化する国際情勢を見ると世界はハイパー化、つまり「ハイパー・グローバリゼーション」の流れの中にいるといえます。

宮田 ハイパー・グローバリゼーションとは何かを詳しく教えてください。

井之上 ハイパー・グローバリゼーションという用語は、これまで米国の学者によって経済・貿易面で言及されていましたが、私は、この用語を(1)ビジネスの広範なグローバル化――に新たに、(2)インターネットとSNSによるデジタル通信(3)IoTやビッグデータ、AIの破壊的技術革新――の三つの力によって生み出された、新たなグローバル環境と定義しています。

70年代終わりからシリコンバレーのインテルやアップル、そしてMIT人工知能研究所との関わりを通して、また半導体や通信、自動車などの日米間の諸問題に米国側の立場で関わってきた私が常に体験してきたことは、イノベーションや国際間の経済・政治摩擦などが起こるところにはパブリック・リレーションズが介在していることでした。

単一民族型の日本の文化基盤はハイコンテクストカルチャーで、「以心伝心」「あうんの呼吸」など自己主張が弱く、多様性を抱合する国際社会では自らの意思を通すことを難しくします。

一方、多民族、多言語、多宗教がひしめくグローバル社会はローコンテクスト型で、自己主張を明確にしないと意見が通らないばかりか、相手から誤解さえ受けてしまいます。つまりグローバル社会では「個」の確立した「人間力」ある人材が求められます。

これからの時代を生きていくためには、ハイコンテクストを維持しつつ、ローコンテクスト型の人材育成が重要になってくるわけです。大学・大学院での講義を通して、私はこうした人材育成は、高等教育からではもはや手遅れで、幼児教育から導入することに気づかされました。

日本の教育現場はこうした世界の大きな潮流の変化に、どれだけ対応できるのでしょう。そんな未知の時代を生き抜いていく、これからの子供たちに必要なものがパブリック・リレーションズだと考えています。設定された目的達成のために自分のとる行動が正しい方向に進んでいるか、自分の中にGPS的な役割を持った倫理感がないと間違った方向へ進んでいきます。

また、相手とのコミュニケーションは一方的なものではなく、双方向に行われているか、そして自分が間違えていると思えば自ら修正できているかなど、「倫理観」「双方向性コミュニケーション」「自己修正」の3要素をもつパブリック・リレーションズが教育の基盤として求められているのではないでしょうか。本日はこういった観点から、実際現場に立っている先生のお話を聞きたいと思います。

山本崇雄教諭
■「ごっこ遊び」で終わらない授業を

宮田 今回のテーマは「学びを変える『学校の開き方』」です。開かれた学校について山本先生はどうお考えでしょうか。

山本 社会に開かれるということは、社会につなげるということです。今の日本の教育システムや授業のあり方は、明治時代から大きく変わっていません。一方で社会はものすごい勢いで変化していて、学校と社会の間にものすごい開きがある。そうすると子供たちは学校を卒業して社会に出た後に、その違いに大きく戸惑う。学びがリアルな社会につながっていないのが現状です。だから教室での授業が全て「ごっこ遊び」で終わってしまう。

子供たちが学校の中でリアルな社会を感じるためには、タスクベースやプロジェクトベースの課題を与えるのが効果的だと感じ、実践しています。

例えば「理想の教材を作ろう」というプロジェクトを生徒に与える。生徒は教材として教科書を隅々まで読み込みます。結果を発表するときは、出版社など外部の人を招き意見をもらいます。教員以外の大人から、自分の活動について本気で評価をもらう経験は、生徒たちにとって社会とのつながりを感じるものです。それは、自分でも社会を変えられるかもしれないという自信やきっかけになる。

プロから「このアイデア、次に使えそうだよ」なんて声をかけてもらうと、「学校は『ごっこ』じゃないんだ」と気付くのです。

宮田 児童生徒が「ごっこじゃない」と気付く授業がポイントなのですね。工藤先生はいかがでしょうか。

工藤 そもそも「社会に開かれた学校教育」という言葉自体が、おかしいですよね。今閉じていることありきですから。

しかし今一度考えてほしいのは、学校とは社会に出るため、社会で生きていくためにあったはずです。今はこの目的が、「学校に来る」ことになってしまっている。

改めてシンプルに考えてみましょう。社会で生きていくために学校を作った。よりよく生きていくためにカリキュラムを作った。そのカリキュラムをコントロールするのが学習指導要領です。でも今は、その学習指導要領をこなすことが一番の目的となってしまっていませんか。

国語や社会、数学、理科……、学習内容は140年間ほとんど変わっていません。ですが井之上先生もおっしゃったように、社会はすごいスピードで変わっている。例えば自動翻訳が進んでいって、細かいニュアンスすらもAIが瞬時に翻訳してくれるようになると、「本当に英語って必要なの?」という時代が来るかもしれません。同じように漢文や古文を全員に教える必要があるのか、歴史は全部学ばなくてはならないのか……。こんな疑問が生まれてくるでしょう。

知識を学び、技術を学び、記憶する訓練が役立った時代は確かにあります。ですが時代は変わっている。時代が変わるのは危機的に感じがちですが、実は大きなチャンス。教育を改めて社会と近しい位置付けに戻すきっかけができたと考えれば、とても前向きなことです。

■学びの10年後を「見える化」

宮田 山本先生は「時代は変わっている」という部分はどう捉えていますか。

山本 工藤先生流に目的と手段という言葉で表現すると、私が専門としている英語の授業目的は、英語を社会で使うこと。そもそも「あなたの英語力で社会に通用しますか」というテストが手段としてあったはずが、成績や大学入試で優劣をつけるためといった別の目的が登場し、複雑になっています。そしてそのテストに合格することが目的になってしまっています。

改めて当初の目的に戻ると、本当に必要なのは、リアルな社会で使っている英語を聞いたり、話したり、社会とつながらなければならないのです。つまり社会に出て英語を使っている人や英語しか理解できない外国人などを教室の中に招きいれることが、絶対必要です。

英語だけじゃないですよ。子供たちに今学んでいることが、これから10年後、20年後、どういうふうに役に立つかを「見える化」してあげることが大切です。これからの教員は、ある一定の知識を分かりやすく伝えることではなく、教室と外部の世界をいかにコーディネートできるかという点で寄与するべきです。

そのためには、教員自身が良き学び手でならなければならない。私たちがリアルな社会とつながっていなければ、児童生徒たちをつなぐことはできないでしょう。ですから教員がいまやるべきことは、どんどん社会に出て行って、さまざまな立場の人と交流しつながり、いろいろなコーディネートができるだけのネットワークを得ることだと感じます。