OK Googleのその先へ AI時代に負けない学校教育(上)

「教壇に立たないMC型教師」「ダンシング掃除」「小学生が帝国ホテルでディナーを楽しみリムジンに乗る」など、数々の型破りな実践に取り組んでいる「ぬまっち先生」こと、東京学芸大学附属世田谷小学校の沼田晶弘教諭。一見奇抜な取り組みは、実はどの学校、どの教室でも取り入れられる手法であり、「学びを楽しくするアイデア」に満ちている。そこには、知識詰め込み型から脱却するためのヒントがたくさんあった。1回目は、子供たちがAI時代を生き抜くための、新しい学校教育の在り方に迫る。


■基礎がなければ応用はできない
――AI時代の義務教育における、学校の役割をどのように考えていますか。

日本の義務教育は、子供全員に同じ質の学びを提供することを目的に設計されていますよね。さまざまな人が関わって築き上げられた教育プログラムなので、そもそも僕のような若手の教員が指導要領などにとやかく言うべきではないのでしょうけれど、義務教育の教科書に出てくる内容は、日本人全員が当たり前に知っていて損はない内容だと思っています。ビジネス界には「小学校の教科書の内容なんて意味がない」と言う人もいますが、僕は「それくらい知っておこう。むしろ、それくらい知ってから始まる」のだと思っています。

基礎がなければ応用はできないわけで、将来、「これをもっと深く学びたい!」と思えるものに出合った時のためにも、小・中学校の教科書に出てくることくらいは、全員が知っておいて損はないですよね。

しかし、一方で、小学生に「いずれ役に立つから、とりあえず勉強しなさい」と言っても響かない。小学生には「未来で役に立った経験」がまだないので、目の前の勉強が楽しいか楽しくないかで、学びへ向かうモチベーションが変わります。

日本の子供の多くが公立校に通っていて、同じ質の授業を受けているわけですが、先生の方は必ずしも皆が教え方のプロではない。大学を卒業してすぐ教壇に立つ新米教員も多いわけで、教科書通りの単元をこなすのに精いっぱいということもあると思います。それは現在の教員養成の仕組み上、仕方のないことで、教師も経験によって成長していきます。若手教員の成長過程における教育の質を担保するための「教科」であり、「教科書」であり、「単元」なんだと思います。全員がスーパー先生だったら、教科書どころか、教科という枠組みすら要らないのかもしれません。

一方で、教員の役割は「知識を教えること」だけではないと思っています。知識をインプットするだけなら、経験豊富で教え方が飛び抜けてうまいスーパー先生の授業を録画して、ネットでオンデマンド配信すれば、生徒は好きな時間に好きな場所で自由に受講でき、よほど効率的です。むしろその方が、学校という場所に拘束される時間も減って、自分のペースで学べていいのじゃないかなと。しかしながら、すでに「OK Google」が、即座に世界中のデータを検索して答えてくれる時代です。知識を知っているだけでは、人間としての価値は相対的に下がるわけです。

僕は、学校という場は今後も必要だと感じています。どんなにITやAIが進化・普及しても、学校ならではの価値が残るだろうと思うからです。

「学校ならではの価値」を語る沼田教諭
■沸騰するのはリアルな人間関係だけ
――AIやITが普及した時代において、物理的に学校に登校することでしか得られない価値とはなんでしょうか。

最近はネット会議が増えてきましたよね。実は僕は最近、「ネット飲み会」をやることがあります。今、沖縄のとあるプロジェクトに参画していて、頻繁に沖縄の人たちとやりとりをしていますが、現地に行く機会は限られています。ビジネス上のやりとりは基本的にネットやメールを介してになりますが、たまに、沖縄のメンバーの飲み会に、僕だけネットで参加するということがあるんですよ。自分の部屋でパソコンを前にして飲むわけですけどね。世の中的にも、『ネット飲み会』はジワジワはやってきているようですよ。

リアルな会合と変わらないかというと、それはやっぱり違います。ネットはしょせんネット。人間が発するオーラのようなものまでは伝わらないし、対話が成り立つのも数人規模までです。もし、学校の授業をネットでやろうとしたら、30人、40人の生徒たちの顔を、パソコンの画面上で識別するだけでも至難の業です。野鳥の会の人でも難しいと思いますよ。

数人規模のネット会議であっても、ネットではつぶやき声までは聞こえないし、顔色などの非言語情報も伝わらない。ネットでは、人と人との関係を「温める」ところまではできるかもしれませんが、「おぉー!!(タッグを組む)」みたいな「沸騰」するところまでは到達しないと思います。だから僕も、可能な限り沖縄まで行きますし、行ったら必ず皆と飲みに行ったりして、人間関係を「沸騰」させます。現地でのスケジュール調整が本当に大変ですけどね。分刻みです。

学校という場所に、物理的に人間が集う価値も同じだと思います。学校で学ぶべきことは知識だけじゃなく、人と人とのつながりを構築する力も含まれるからです。

■対話こそライブ&リアルで
――人と人との関係を構築する力というのは、具体的にどのように育まれるのでしょうか。

人間関係を構築するためには、多種多様な価値観を知り、それを受け入れた上で、自分の考えを上手に相手に伝えるスキルが必要になりますよね。これは、ライブ&リアルな場でしか学べないと思います。

用意した回答をネット上で見せ合ったり、誰かの回答にネット上でコメントしたりはネットでもできますが、皆が意見を出し合う場は、顔が見えるリアルな場の方が良いと感じます。その方が、ダイレクトに皆の反応を感じることができるので、「言い過ぎた」「うまく伝わらなかった」という経験を通して、人間関係構築力が育まれていくのではないでしょうか。

こういう経験によって人間関係構築力がしっかり身についていないと、ネット上でのやりとりでも相手の気持ちに鈍感になってしまい、必要以上に非難して炎上させるリスクにつながることもあると思います。

――リアルな集いには、対話を通じて人間関係構築力を身につけるという重要な役割がありますね。他にも学校ならではの価値はありますか。

例えば「モチモチの木」という題材で、どんな授業をするか。僕は、「なぜ、あの木の話をした翌日が、満月の夜だったのかな? あんな都合よくおじいさんが腹痛になるかね? おじいさんの腹痛騒動に、どんな裏話を思いつく?」と、生徒たちに聞きます。

既定路線の「本当に急な腹痛だった説」の他にも、「おじいさんの仮病説」などが出てきて面白いのですが、議論の後半は「じゃあ仮に、もしおじいさんの仮病だったとしたら、なぜおじいさんは仮病なんか使ったの?」という展開に。同じ物語でも、前提を変えると解釈も変わり、登場人物の気持ちの捉え方も変わるんですよね。

こういう議論には正解がないし、これは1対1のやりとりよりも、クラス全体でいろいろな視点から意見を出して行った方が断然盛り上がります。いわば、クラス全体での「学び合い」。リアルな集いでの対話を通じた授業だからこそ、「学び合い」が盛り上がるし、正解がないことを考えるので、確実に思考力も磨かれます。これが、ITが普及した先にも、学校というリアルな学びの場が残っていく価値の一つだと思っています。


【プロフィール】
沼田晶弘(ぬまた・あきひろ) 1975年、東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、アメリカ・インディアナ州立ボールステイト大学大学院でスポーツ経営学の修士課程修了後、同大学職員などを経て、2006年から東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。教育関係のイベント企画を実施しながら、企業向けの研修・講演活動も行っている。型破りな授業の詳細が分かる著書に、『「変」なクラスが世界を変える!』(中央公論新社)、『ぬまっちのクラスが「世界一」の理由』(中央公論新社)、『「やる気」を引き出す黄金ルール』(幻冬舎)、『子どもが伸びる「声かけ」の正体』 (角川新書)。