OK Googleのその先へ AI時代に負けない学校教育(下)

数々の著書の中で「僕はガチガチの勝利至上主義」と語る「ぬまっち先生」こと、東京学芸大学附属世田谷小学校の沼田晶弘教諭。勝利にこだわるのは、そこにAIに負けない人間力を育てる仕組みがあるからだ。3回目は、「AIに負けない人間力とは何か?」に迫る。


■「やる気」は出すものじゃなく、出るもの
――AIの台頭でなくなる仕事が度々話題になりますが、これからの時代において、人間に求められる力とはなんでしょう?

AIが何をどこまでできるようになるか、僕には予想が付きません。きっと、どこまででも進化していくような気もします。従って「AIに負けない人間力」を今の時点で定義するのは難しく、僕自身もまだ模索している最中ですが、従来通りの教育ではダメだということだけは分かっています。

すでに、知識をインプットする教育から主体的な学びへと移行してきていますが、「とにかく頑張りなさい」という根性論の関わり方も、いまいちですね。人間のモチベーションは、そんな声がけだけでは出てこない仕組みになっているからです。やる気は「出せ!」と言われて出るものじゃなく、自然と出てくる仕組みが必要なのです。

僕がなぜ痩せられないかというと、僕にグラビアのオファーがまだ来てないからです――というのは冗談ですが、子供たちがプレステ3を止められないなら、プレステ4を用意すれば解決しますよね。リアルな社会ではいろいろな商品のプロモーションが、人間の欲望やモチベーションの仕組みを捉えた手法で行われているのに、学校の教室の中では「頑張れ!」とか「気合を出せ!」みたいな精神論が横行していることに、少々違和感があります。

教員も生徒も、人間の仕組みをちゃんと理解した上で、目標達成のためにどんな仕組みを作るのか?――という、システム設計の発想が必要だと感じます。

「やる気は出そうと思って出るものではない」と沼田教諭

■ふじが池の魔力
――仕組み作りというのは、具体的にどういうことですか?

例えば、うちの小学校には「ふじが池」という小さな池があるのですが、ザリガニやおたまじゃくしがいるので、休み時間の人気プレイスポットです。その池で夢中になって遊んでいる子供たちが、夢中になりすぎて休み時間が終わるまでに教室に帰って来られなくなることが多発しました。

何度注意してもダメで、僕はこれを「ふじが池の魔力」と名付け、「休み時間が終わるまでに教室に戻ってくるためにはどうしたら良いか?」を子供たちに考えさせました。

最初に子供たちから出てきた対策案は、「気をつける」みたいな精神論だったのですが、「いやいや、気をつけてもダメだったのだろ? ふじが池の魔力は、気をつけるという力は効かないみたいだ。もっと別の手を考えないと」と再考させました。

「腕に書く」には「腕を見るのを忘れる」、「そもそも外に行かない」には「つまらん!」、「友達に聞く」には「友達も夢中になって時間を把握できないんじゃないの?」といった対話を経て、最終的に「タイムキーパーのキャプテンを決めるけれど、キャプテンも忘れちゃうことがあるので、気づいたらみんなで声を掛け合う」という対策方法になりました。

僕はこの対策を話し合っている時、ふと、これは薬物乱用防止にも置き換えられる気がしました。ふじが池の魔力に負けてしまうのも薬物乱用も、人間ならではの愚行です。精神論や根性論は耳心地が良いかもしれませんが、根本解決を目指すためには、人間臭さを理解した上で精神論に頼らない仕組みづくりが有効だと思います。

子供たちが作った日直ボード。仕組み作りは子供たちにも考えさせる

■本気から生まれる工夫と悔しさ
――沼田先生は、著書の中でも度々「勝負に徹底的にこだわる」と書かれていますが、勝負にこだわることの教育的な意義はなんですか?

確かに本では「僕はガチガチの勝利至上主義だ!」と書いていますが、勝つことが良いことで負けることは悪いこと――みたいな話ではないのです。どんな勝負でも、なんとなく勝ったのと、勝つためにあらゆる努力と工夫を積み重ねて勝利をつかみ取ったのとでは、雲泥の差があります。前者はあまり意味がない。後者の「努力と工夫を積み重ねるプロセス」を、子供たちに経験させたい。

本気の取り組みからしか、工夫は生まれません。本気で取り組まなければ、負けても悔しくないかもしれない。一方で、本気を出して負けると、悔し涙が止まらなくなることがある。そんな涙を流している子供に、僕は気安く「残念だったね」とか「仕方ないよ」などと言えなくなります。

もしかしたら、大人の安易な慰めの言葉によって、子供たちが簡単に「負けても仕方ない」と思うようになってしまうかもしれない。運動会で勝ち負けを決めないという考え方もありますが、僕は勝ち負けがあるからこそ、「どうしても勝ちたい!」という気持ちが起こり、そこから工夫が生まれると思っています。勝ち負けはあったほうがいいし、どんなコンディションであっても「勝つこと」を目指したほうがいいと考えています。

――「悔しい」という感情も人間ならではものです。「悔しさ」は人間にとってメリットになり得ますか?

時に「悔しさ」は、人間の愚かな行動につながることがあるので、なんとも言えないですね。例えば野球で、「ストレートで打たれて悔しくなって、またストレートで勝負する」みたいな。AIだったら確率に正確な行動選択をするはずなので、絶対にそんなことしないですよ。そういう人間臭さが僕は好きだし、きっと観客も楽しめるかもしれません。しかし、失敗から何も学ばず感情だけで行動を選択していたら、人間はAIに負けるでしょうね。

失敗から何かを学びとった上で、ストレートで勝負したいなら、そのために本気の努力をすればいい。その本気の努力から生まれた工夫が、ストレートで勝てる確率を上げる可能性はあります。人間臭さを上手に生かして努力と工夫ができる力。そこに、AI時代に負けない子供たちを育てるための学校教育のヒントがあるような気がしています。

■新しい何かが生まれる予感
――沼田先生はいま、人生初の「1年生担任」なのですよね。これからの抱負は?

本音では、1年生はきついです。今まで中学年以上しか受け持ったことがなかったので、僕がこの10年間に築いてきた手法の8割が封印されてしまったんです。

入学式の日、体育館で僕が担当クラスの子供たちに向かって「起立」と言ったら、担当クラス以外の1年生も全員立ってしまった。慌てて「座って!」と言ったら、自分のクラスの子供たちも座ってしまいました。「あかん! 1年○組の皆さん、起立と言わなきゃダメだったか」と学びましたが、まだまだ日々てんやわんやです。

しかし学級担任の辞令を知った時、この1年は僕にとって転機になるだろうと感じました。過去に生み出した手法が使えなくなったからこそ、何かが生まれる予感がします。

僕の人生はドラクエではないので、レベルアップの瞬間を自分で認識したことはありませんが、自分自身を理解し、自分に足りないものを知ることで、それを補うための本気の工夫はできます。その先に、僕自身の人間力が確実に高まって行くでしょう。まだまだ小学校教諭としてやり尽くしていないですから、これからも目の前の課題に本気で対峙(たいじ)していきます。

【プロフィール】
沼田晶弘(ぬまた・あきひろ) 1975年、東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、アメリカ・インディアナ州立ボールステイト大学大学院でスポーツ経営学の修士課程修了後、同大学職員などを経て、2006年から東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。教育関係のイベント企画を実施しながら、企業向けの研修・講演活動も行っている。型破りな授業の詳細が分かる著書に、『「変」なクラスが世界を変える!』(中央公論新社)、『ぬまっちのクラスが「世界一」の理由』(中央公論新社)、『「やる気」を引き出す黄金ルール』(幻冬舎)、『子どもが伸びる「声かけ」の正体』 (角川新書)。

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