何もない地方の限りない可能性(上)学校と地域の共通ビジョンを作る


少子化による人口減少と都市部への人口流入によって、地方はどんどん衰退に向かっている。特に交通の不便な離島や中間山地域では、地域から子供がいなくなり、学校の統廃合問題に直面している所も多い。「このまま高校がなくなれば、島から人がいなくなってしまう」――、そんな危機意識から、学校を核とした地域活性化に乗り出した島根県立隠岐島前高校の取り組みは、日本の地域再生に一つのモデルを提示した。東京から隠岐に移住し、この再生プロジェクトをけん引してきた岩本悠氏(島根県教育庁教育魅力化特命官/地域・教育魅力化プラットフォーム共同代表)に、日本の地域とそこにある高校の未来を聞いた。


■「流学」は1年をかけた「総合学習」
――学生時代に世界中を旅して、その経験を『流学日記』として出版されました。なぜ世界を巡ろうと思ったのですか。

僕が子供の頃は、学校でこの先どう生きるかを考える機会がありませんでした。教室の中で教師と教科書から学ぶのが中心で、学びへの強い欲求や動機があるわけでもなく、何となく大学に入って遊びに走るという典型的な学生生活を送っていました。そんな中、このまま目的意識もなく就活して、受かった会社に入って本当に幸せな人生なのだろうか、自分の世界をもっと広げたい、自分がどうありたいのかをちゃんと考えたいと思い、休学して旅に出ました。

僕にとって「流学」は1年をかけた「総合的な学習の時間」だったんです。自分の興味関心に基づいて目標や課題を設定し、それに向かって考え、行動して、体験して、それを振り返って。時間割がない毎日の中で、「主体的な学び」をさまざまな地域で体験させてもらいました。

そうして日本に戻ってきたら、以前とは全くモチベーションが変わっていた。もっと学びたい、もっと早く社会に貢献できる人間になりたいと思うようになっていました。そして、僕が「流学」を通して体験したような学びを、もっと多くの人に提供したいと考えたのです。

教育や学習は子供時代で終わるのではなく、その後も続いていくのだから、まずは企業や組織における学習・教育、人材育成、人づくりについて学ぼうと考え、一般企業に就職しました。一方で自分の団体を作り、途上国の教育支援やキャリア教育のワークショップを開いたり、出前授業で旅の体験を語らせてもらったりしていました。その縁で隠岐島前高校のある島根県海士町に呼ばれたのが移住のきっかけでした。

教員と地域住民による議論(岩本氏提供)
■課題「最前線」の地で出会った人たち
――移住に迷いはなかったのですか。

もちろんありました。移住を打診されたとき、「いったん、考えさせてほしい」と答えた上で、学校を見たり、先生方と会ったり、地域の方と会ったりしながら、自分が本当にここで役に立てるのかどうか、冷静に考えました。

それで気付いたのは、日本が抱える課題の最前線は、こういった場所だということです。少子高齢化、人口減少、財政難…日本のどこよりも隠岐は先をいっていた。こうした課題と向き合いながら、持続可能な地域を作っていくために、学校や教育はどういう意味を持つのか。学校や教育の視点から持続可能な地域を作るにはどうすればいいのか。課題「最前線」の地でモデルを作ることが、日本の多くの地域や学校に貢献できるのではないかと思ったのです。

移住を決意したもう一つの理由は、人の縁です。僕が隠岐で出会った教師、行政の方、地域の方など、キーマンとなる人がみんな魅力的でした。年配の方も、20歳すぎのよそ者を受け入れ、何か生かそうとする。異質なものや新しいものを拒絶せず、好奇心を持ち、探究心を持って、それを生かそうとしている。「この人たちとなら、一緒にやっていける」と思いました。「自分たちの地域を、自分たちの手で守っていきたい」という強い当事者意識と、学びに向かう姿勢を持っている人が多かったんです。そういう人たちが次の世代もその次の世代も、もっともっと育まれていくような、そういう教育環境を作っていきたいと考え、移住を決意しました。

――そうはいっても、学校や島の人に信頼を得るのは、かなり苦労されたんじゃないですか。

第一に意識したのは、信頼関係を構築していくこと。その土台なしには進まないですからね。そのために本音で対話したり、共通体験をしたり、自分から接点を持つようにしました。強く意識したのは、いかに自分から変化していくかです。そうやって関係性を作りながら、いかに「チーム」を大きくしていくか。それが最初の命題でした。

■共通ビジョンというタネ
――離島の高校に赴任した教員は、多くの場合、1年や2年で離れてしまうので、地域のことに関心を持ちにくいといわれます。

私が島へ渡った当時は、学校が地域に開かれていなかったので、やはり問題意識は持ちにくかったと思います。協働の体制を築くために、まずは行政や地域の方と共に学校へ入って、熟議や対話ができる場を作っていきました。このコンソーシアムや体制づくりに1年、そこでの対話を通じて共通ビジョンを作るまで、さらに1年かかっています。そうやって共通ビジョンができていくと、次第に「チーム」ができてきます。

「統廃合を何とかしたい」というだけだったら、教師にとってそれは「イッツ・ノット・マイ・ビジネス」。県教委が決めることで、自分たちの問題ではないとなってしまう。教師の一番の関心事は、生徒たちにどういった力を付けるかです。一方、行政や地域は学校を存続させたいと考えつつ、生徒たちに、自分たちの産業や文化を担ってほしい、地域に愛着や誇りを持ってほしいと考えている。対話を繰り返す中で、そうした人たちの思いが教員にも見えてきました。こういう教育や学校づくりのためだったら、本当にやりたい。子供にとっても、保護者にとっても、地域にとってもいいことだ。そういう共通ビジョンができれば、立場や役割、思いが違う人たちでも協働し、良い方向性が見えてくるようになります。

――共通ビジョンを作り上げる過程で、うまくいかずに焦ったことはなかったですか。

確かに焦ったこともありました。でも、関係性や土壌がない中で、いくら種をまいても芽は出てきません。関係性づくりとは土を耕すようなもの。そこに共通ビジョンという種をまき、みんなで育てていくんです。

そういったことをしながら、生徒たちの成長や変化がはっきりと見えたときに、みんなの意識が大きく変わっていきます。

観光甲子園での優勝をきっかけに意識が変わった(岩本氏提供)
――隠岐島前高校では、その瞬間はいつだったのでしょうか。

一つは観光甲子園に参加したときです。生徒が地域を舞台にした課題発見・解決型の学習、今でいうPBLに取り組みました。そうした探究的な学びは当時、学校では行われていなかったので、「地域で何をするのか」「そんなことやって意味があるのか」「高校生がそんなことできるのか」などの声が上がりました。みんな、見たことがないから分からなかったんです。でも、実際にやってみたら生徒たちが大きく変化し、成長していくのを、教員が目の当たりにした。保護者も含め、「こういう学びを通じて子供たちはこんなに変わるんだ」ということが見えて、悪くないなという共通認識が生まれたのです。

■次の一手は島留学
――隠岐島前高校では、島外から留学する高校生を募集しました。

私が隠岐島前高校に入った当時、中学生の半ほどは島外の高校に進学していました。理由は、常に同じメンバーで刺激や出会いがないから。ならば、自分たちが外に出ていかなくても、島外から呼んできて、島にいながら日本中、世界中の子供たちと学び合えるようにしたら、いいんじゃないかと思ったのです。

異なる文化や価値観の生徒が入ってくることは、教師にとっても今までの「当たり前」が問い直される機会になります。進学指導もその一つ。国公立大学への進学を前提に指導していた生徒から、「この大学でこういう勉強をしたい。なぜ先生がどの大学を受けるか決めるんですか」という意見が出てきたりします。自分たちの教育観、指導観を問い直しながら、生徒たちにとって一番良いものは何か、これからの社会で必要な資質、能力をどう育てればよいのかを考えることになります。

岩本悠氏
――留学でやってきた子供にとってのメリットは。

まず、寮生活を通じて自立心や協働性が育ちます。自分とは全く違う価値観の生徒たちと一緒に生活していくわけなので、時にはぶつかり合いもあります。そうした中で、生徒たちは折り合いつけながら、みんなにとっての最善策や納得解をひねり出していかなければなりません。また、授業が少人数なので、一人一人に出番があり、自分の強みを生かすこともできます。誰かが自分のことをちゃんと見ていてくれて、自分らしさを認めてくれる機会があるからこそ、自立心や協働性が育ちます。

地域社会との交流も、生徒たちにとっては大きな経験です。生徒たちの多くは、それまで親と教師以外の大人とはほとんど話をしたことがありません。そうした生徒が、地域の多様な大人と出会い、その生きざまに触れる中で、自分の生き方を問い直したり、考えたりします。

プロジェクトを進める中で、自分自身と向き合い、やりたいことが見えてきた生徒たちも少なくありません。自ら課題を見つけ、解決に向けていろんな人たちを巻き込んで協働していく力は、教科書では学べない力、ペーパーテストだけでは測れない力です。

(藤井孝良)


【プロフィール】

岩本悠(いわもと・ゆう) 島根県教育魅力化特命官/地域・教育魅力化プラットフォーム共同代表。東京都生まれ。学生時代にアジア・アフリカ20カ国の地域開発の現場を巡り、その体験記を出版。印税でアフガニスタンに学校を建設。幼・小・中・高の教員免許を取得し、卒業後はソニーで人材育成・組織開発、社会貢献事業に従事する傍ら、学校・大学での開発教育・キャリア教育に取り組む。2007年より海士町で、隠岐島前高校を中心とする人づくりによるまちづくりを実践。AERA「日本を立て直す100人」に選出。15年から島根県教育庁と地域振興部を兼務し、教育による地域創生に従事している。著書に『流学日記―20の国を流れたハタチの学生』(幻冬舎文庫)、『未来を変えた島の学校―隠岐島前発ふるさと再興への挑戦―』(岩波書店)など。