過労自殺は『自ら選んだ死』ではない 教頭に起きた悲劇(上)

大阪府の閑静な住宅街にある私立高校の駐輪場で2018年3月29日早朝、一人の男性教頭が首をつって命を絶った――。亡くなる前の3月下旬には、うつ病あるいは適応障害などの精神障害を発病していたとみられる。遺族は極度の長時間労働と上司によるパワーハラスメントが原因だとして、同校を運営する谷岡学園に計約1億2千万円の損害賠償を求める訴訟を11月22日、大阪地裁に起こした。

労働問題を研究する上西充子・法政大学教授は過労自殺を「『自ら選んだ死』ではない」と強く訴える。何が男性教頭を職場での自死まで追い詰めたのか。悲劇を繰り返さないため、証言や記録を基に考察する。全2回。


■熱意にあふれ校務に取り組む

男性教頭は1965年生まれ。91年に数学科教諭として谷岡学園に採用され、大阪商業大学高校に勤めた後、2010年には同学園が運営する大阪女子短期大学高校に異動した。大阪緑涼高校に校名を変えたのは17年4月。背景には短大の募集停止、18年度からの同校の一部共学化などがある。

15年4月、同校の教頭に就任。校長、副校長の下で、教頭としての業務に加え、数学科の授業も受け持っていた。自宅から同校までは車で通勤しており、片道1時間前後かかる道のりだった。教頭に就任してからは月曜から土曜まで、午前6時半に家を出て午後10時ごろ帰宅していた。

遺族によれば、教頭は校務にやりがいを感じ、週6日、午前7時半から午後9時ごろまでという長時間労働にも積極的に取り組んでいた。遺族側代理人の松丸正弁護士も「残業時間は100時間を超えていたが、校長・副校長と3人で支え合い、校務をこなすことができていた」と話す。

■常軌を逸した長時間労働へ
男性教頭の遺族は大阪地裁に提訴した

状況が大きく一変したのは18年2月、新校長就任の内示からだ。それまで学校運営の中心を担っていた校長・副校長が共に他校へ異動し、新たに就任する新校長・教頭補佐と3人で校務に当たることになった。

同校は、18年4月からのリニューアルに向けて大きく動き出していた。一つは男女共学化。もう一つは調理師コースと製菓栄養士コースを併せ持つ調理製菓科の新設。いずれも管理職による多大な実務を伴う変革だ。にもかかわらず校長・副校長の転出が決まり、教頭は校務の中心として一人、激務に立ち向かわざるを得なくなった。

2月には帰宅時刻が午後11時を超えるように。残業時間は164時間11分に上り、厚労省が過労と精神障害の因果関係を認める160時間を超えた。3月に入ると妻や子らが就寝した深夜0時を過ぎて帰宅するのが常態化。亡くなる前日である3月28日までの1カ月の残業時間は、215時間41分にまで上った。

この残業時間は、パソコンのログイン・ログアウトの時刻と、職員室を施錠した時刻などの、客観的な記録から算出されている。時間外勤務手当が支給されないことなどからタイムカードを通さないことが少なくなく、教頭が亡くなるまで学園は教頭の勤務実態を把握していなかった。

ログアウト記録の中には「26:01」という時刻の日もあり、妻に「まだ仕事、学校に泊まる」と連絡していた。職員室の施錠記録はなく、仮眠を取った後に翌日の早朝から業務に当たっていた様子が容易に推測される。

「常軌を逸した長時間労働だ」と、松丸弁護士は指摘する。松丸弁護士は1980年代から被害者側の立場で労働問題の裁判に取り組んできた。「過労死弁護団全国連絡会議」代表幹事も務めるなど、過労自殺・過労死の専門家だ。その松丸弁護士でさえ、「これまで扱ってきた数多くの事件の中でも桁違い」と話す。

さらに教頭は、いじめとも言うべきパワハラまで受けていた。松丸弁護士は「教頭が置かれた状況であれば、誰もが自死に追い込まれる」と見なす。

(小松亜由子)


連載(下)=20日午前5時に電子版掲載=では、教頭に対する限度を超えた指導・叱責や、精神的に極限まで追い込まれていた自死の直前の様子、公立・私立を問わず多くの学校が抱える勤務実態の課題について、過労自殺の専門家・松丸弁護士の見解や学園の監査報告を基に伝え、悲劇を防ぐ手だてを考えていく。