ノーベル賞受賞者が見る教育の未来 野依博士に聞く(1)

「教育の究極の役割は、人類文明持続への貢献」

「教育の究極の役割は、人類文明持続への貢献だ。加えて、わが国の命運もかかっている。私はいまの教育と世相に大いに怒っている」――。2001年にノーベル化学賞を受賞し、現在は科学技術振興機構の研究開発戦略センター長を務める野依良治博士は、日本の未来、そして教育への危機感をあらわにした。「知の巨人」には、どのような未来が見えているのか。教育の役割から、日本の教育の危機的な状況、その打開策、果ては人類文明の存続などまで、インタビューは全4時間に及んだ。(聞き手・教育新聞編集部長 小木曽浩介)

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教育は何のためにあるか
――いまの教育をどう見ていますか。

私は教育の専門家ではありません。だが、この硬直化した教育の状況について言いたいことはたくさんある。本気で怒っています。本来、なぜ教育があるのか。まず、個々の人々が豊かな百年の人生を送るため。国の存立と繁栄をもたらすため。さらに人類文明の持続に資することが最も大事で、この根幹を忘れてはならないと思うわけです。

問題は、じゃあ、どういう人生、あるいは国、あるいは人類社会であるべきか――ということ。そこに理念あるいは構想がなければ、とても教育はできませんね。

日本は戦後、欧米から民主主義や人権など多くのことを学んできたものの、残念ながら受け身であり続け、自らが考えた「国是」、英語で言うナショナルビジョンが共有されていないことに、根本的な問題があると思っています。

――学校教育については、どうでしょう。

学校教育は、社会のためにある。個人が自由に生きる権利は大切だが、決して入学試験に合格するためだとか、あるいは金持ちや権力者になるためにあるのではない。教育界というのは日本であれ、あるいは世界であれ、あるべき社会を担う人を育まなければいけない。健全な社会をつくることが、国民それぞれの幸せにも反映するわけです。

しかし今、日本はどういう国になっているか。財政面では巨大な公的債務がある。そして少子高齢化の状態にある。それからエネルギー、資源問題。これも他国と違っていて、世代間の公平性を維持しつつ、自分たちの責任でしっかりと確保しなければいけない。中国も台頭する中、いかに生き抜くか。そういう厳しい実情です。だから日本は他国並みではなく、格段にしっかりした次世代を育てなければなりません。行政にも現場にも、その覚悟が求められる。

一方、世界はどうかというと、科学技術が決定的に文明社会の発展に貢献してきたわけです。この1世紀の間に、先進国では人の平均寿命は45歳から80歳まで延びました。百年前だったら、私なんかとうてい生きていないけれど、まだ元気でいる。それから人々の個人の能力。親から与えられた生来の能力はごく限られているけれども、科学技術によって外的に拡大しています。

経済的に見れば、世界中の76億人の人口を支えるべく、産業革命から考えると、経済の規模は250倍ぐらいに拡大しています。

しかしながら、それによる光と影があります。今後は個人、組織、あるいは国が、持続可能性を視野に入れた営みを続けて、社会全体の質を向上させないといけない。しかしそうなってはおらず、逆に世界各国で民主主義や人権が損なわれ、格差社会を生んでいます。おそらく「戦いに勝つことは善である」とする考え、また新自由主義による自己利益の最大化を是認する倫理の問題でしょう。

文化を尊ぶ文明社会を
――いまは、正義がないがしろにされている社会だということですか。

私は、覇権主義の国、大きな国が声高に叫ぶ正義だけが、正義ではないと思います。「力は正義なり」は間違っている。正義はたくさんあり、多面的に相対化して考えなければいけない。だから私は常に「文化を尊ぶ文明社会」をつくらなければいけないと主張しているわけです。

何も皆がありがたがる欧米の文化だけ、5千年の歴史を持つ中国文化だけが尊いのではなくて、多様な文化を尊重する文明社会をつくっていかなければいけない。あまたある他者との「共生」に向かわねば、持続は不可能です。

――多様な文化とは何かを詳しく。

私は、文化は四つの要素から成ると思っています。言語、情緒、論理、そして科学。

言語は地域によってものすごくたくさんあり、他方で科学は一つしかない。情緒や論理の多様性は、その言語と科学の間にある。これらの文化的な要素をきちんと尊重しなきゃいけない。決して軍事力や経済力で踏みにじってはならない。

私は科学者ですが、将来を考えると科学知識や技術だけでは、人々は生きていけないと思います。やっぱり文化に根差す思想がないと、未来を描くことも、実現することもできない。

日本という国を中心に考えると、ただ産業経済力を強化するだけでなく、いかに文化面で共生に貢献するかという道を、自ら考えなければいけない。世界もそれを求めているはずです。若者にはもっと世界を知った上で、自らに誇りを持ってほしい。

――そのためにも、教育しなければいけない、と。

その通りです。同時に人は時代と共に生きているわけで、その時代が求める知は何かということです。教育は教条的ではいけない。昔の教育と今の教育は違うはずで、近未来も含めて時代を生き抜く若い世代をつくることが、個人のためにも、社会のためにもなるのです。

なぜ科学を学ぶか
――科学者の立場から見て、科学教育はどうでしょう。

科学とは、真理追究の営みです。ポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という絵がありますよね。この問いにまっとうに答えるのが科学だと思っています。

科学は客観性の高いものですが、人々の営みとか自然観、人生観、死生観などの、まっとうな主観を醸成します。いたずらに経済的利益追求に貢献するだけではなく、これが本当の意味での科学の一番大事な役割なのです。

――非常にスケールの大きい命題ですね。

そうです。科学は森羅万象に関わるからです。とはいえ、そんな大きな命題にはなかなか答えられない。だから個々の人は身の丈に合った科学的課題を選び、研究をし、ささやかでも人類共通の資産をつくるのです。そして誰かが、その知識を使うことになる。

ソクラテスは「無知の知」と言っていますが、科学教育の本質はまさにここにある。人々は謙虚でなければいけない。つまり、何かを発見したら、その背後にはまた、大きい未知が残っていることが分かる。

iPSや新たな免疫作用が見つかると、また分からないことがいっぱい出てくる。日々発見があるので、この世界はきりがない。だから優秀な科学者といえども傲慢(ごうまん)にならないで、「無知の知」をきちんと認識しないといけない。

ニュートンは「私がかなた遠くを見渡せるのだとしたら、それはひとえに巨人の肩に乗っていたからです」と言っています。ニュートン自身もすごい科学者でしたが、ガリレオやケプラーの業績の上に乗っていたからこそ「遠くが見えた」と。科学の本質は知識の積み上げです。だから、いつの時代にも若い人が未知に挑む。最高水準の研究をして、新しい知に挑んでいる。

進歩し続ける宿命
――「知の巨人」たちの肩に乗る。それが科学教育の本質なのですか。

そう。ほとんどの人はアインシュタインやワトソン、クリックよりも優れてはいないでしょう。しかし若者はその上に乗って、彼らよりも高い水準のことを学び、また研究する。これが大事で、科学教育はこれを踏まえてやらなければいけない。彼らこそが社会の宝。励まして心に灯をともすことが大切です。決して消耗してはなりません。

そして、もう一つ。社会学者マックス・ウェーバーは「科学は進歩し続ける宿命にある」と言っています。これはすごいですよ。科学以外に、進歩し続けるというものはありますか。

――思いつきません。

なかなかないですよね。芸術や文学は進化する。時代により本質は進化あるいは変容するが、進歩しているかというと、分からない。ベートーベン、モーツァルトに比べて、現代音楽の方が進歩しているでしょうか。

紫式部、シェークスピアと、今の流行作家。ゴッホ、ピカソと、今の画家。今の人のほうが、水準が高いかというと、必ずしもそうじゃない。進歩じゃなくて、変容、進化、化けていることは確かですが。

――芸術で進歩したといえるのは、作品ではなく、制作道具や機材ですね。

そう。そして制作道具や機材には、必ず科学技術が入っていて、そういう意味で進歩がある。昔できなかったことが可能になった。再度強調したいが、「科学は進歩し続ける宿命にある」。だから、科学技術が社会をよくする、あるいは国力の源泉であると認めるなら、科学をきちんと制度化しないといけない。

趣味ならばいいが、国のためには放置して個人がばらばらに勝手にやってでは駄目。科学教育、科学研究の仕組みを社会が責任を持ってちゃんと用意しないといけない。しかしこれは行政だけの力では不十分で、国民全体の理解と支援が必要です。

科学は積み上げ方式なので、いつも先端にいるのは若い人たちです。逆に昔の人と同じことを繰り返しやっていては、もはや研究とは言えない。他の分野とは異なる、科学の本質を踏まえた教育制度が必要なのです。

自分で問題を見つける
――次代を担う若者たちですが、学力についてはどうでしょう。

その話をするには、まずこちらから質問しましょう。科学者として成功するには、何が必要なのか分かりますか。

――観察眼やセンスでしょうか。

それらも必要でしょうが、違います。ものすごく単純なんです。自分でいい問題を見つけて、それに正しく答えるということです。この生き方を貫くのです。

――そう言われますと、新聞記者も同じですね。自分でいい問題を見つけることが一番重要です。
教育の役割を語る野依博士

もちろん、そうでしょう。それで日本の青少年の基礎的な学力ですが、PISAやTIMSSなどの国際調査結果などを見ると、割と頑張っています。
ただ問題は、学びが消極的な点。積極的に定説に対して疑問を投げ掛けたりすることがない。教科書などに書いてあったら、「ああ、それはそうですね」で済ませ、自分で考え「そうじゃないんじゃないか」と、工夫して挑戦しないのですね。

創造性のある科学者に必要なのは、いい頭ではなく、「強い地頭」。自問自答、自学自習ができないといけない。

それから、感性と好奇心。これが不可欠です。そして新しいことに挑戦しなければいけないから、やっぱり反権力、反権威じゃないと駄目ですね。年配者や先生への忖度(そんたく)は無用です。先生や社会は若者のこの自由闊達(かったつ)な挑戦を温かく見守る必要がある。

――全て新聞記者も同じです。多くの他の職業にも当てはまる気がします。

しかし、しばしば科学者として成功した人は変人奇人で、非社交的です。良い子ではない。芸術で言えば前衛や異端ですね。独創的とは「独り創造的」なので、彼らの考えや成果はなかなか認められない。寂しく、孤独。それに耐えていかなければいけない。つまり、思い入れを持って仕事をする。

異に合う
――こつこつやることや、忍耐の源泉は、まさに思い入れですね。

そう、「思い入れ」。独善的な「思い込み」では駄目です。

そして重要なのは「異に合う」。異なる物事や人々、異なる文化に出合う経験というのはものすごく大事です。自分で問題を見つけるために、同じところで、じっと考えていても見つからないのです。

例を挙げると、ノーベル賞受賞者は、受賞時点で平均4・6カ所の大学、研究機関を渡り歩いています。井の中の蛙(かわず)では駄目。最近、世界では国際交流が急激に進んでいます。日本人が立派な井戸を掘って外に出ないことを、私は心配しています。

他にも必要なのは、貧しい環境を克服する意志。もちろん社会を疲弊(ひへい)させるだけの貧困はよくない。しかし貧困を克服するという意志は、若者をたくましく鍛えるんですね。

戦後われわれ世代はとても貧乏でしたが、国全体が経済復興をするという強い意志を持っていた。それに若者が応えた。これは大事です。

今の大きな問題は、好奇心を持って自ら問う力、考える力、答える力。これらが落ちているということ。なぜそうなるのかというと、社会全体を覆う効率主義、成果主義のせい。しかも実は本当の成果を求めていない、形だけの評価制度は許せない。評価は本来、人や物の価値を高めるためにあるのですが、そうなっていない。問題の全体像をつかみ、自ら考えて、答えを得るというプロセスがなければ、知力を培うことは絶対にできません。

目次は大事
――全体像を把握する力も足りていませんか。

例えば私たちは一冊の本があったら、まず第1章、第2章、第10章、第15章と、前から目次を順次眺めながら、全体の学問の構造を勉強しました。目次は大事です。

しかし今の大学生は目次には関心が無く、索引を見ます。例えば索引で万有引力の部分を読んで、「おお、万有引力とはこういうことか」と。細胞死なら細胞死の記述だけを読んで「これは分かった」と。だから知識が体系化されず、ばらばらで断片的なんです。

――それですと、グーグル検索も駄目ですね。

今はもうウェブですね。ウェブ検索はとても便利なので使いこなすべきですが、極めて断片的な情報しか得られず、それだけでは全体が見えない。自然がどうなっているか、あるいはこの分野はどういう構成でできているかなどは、分からないわけですよ。

「先生が気の毒」
――巨人の肩に乗る格好にならないのですね。

そう、なりません。ドローンでさっと舞い上がって、あらかじめ見たいものだけをピンポイントで見てくるようなものです。

考える力、答える力が落ちていると言いますが、最も心配なのは「問う力」がほとんどないこと。誰かに作ってもらった問題に答える習慣が染み付いている。幼い子供たちは好奇心を持つが、学校教育が疑いを持つことを許さないのではないか。発展につながるいい問題を作るのは、与えられた問題にいい答えを出すよりも、ずっと難しいのです。平凡な既成の問題に答えてもまったく意味を成さないはずで、なぜこんなことが分からないのか。

しかし、これは生徒が悪いんじゃなく、国なり、社会の教育に対する考え方が、科学研究を損なっているのです。

私は教育再生会議の座長を務めましたが、やはり「社会総がかり」で教育に取り組まないといけない。その意味で「教育貧困国」なのです。学校だけに任せては駄目です。学校教育だけでなく、家庭、近所、地域、さらに産業界、あらゆるセクターの組織、あるいは人々が教育を支えるという気持ちにならないといけない。そして教える側自身も、そこから多くを学ぶ。

しかし実際には、今の小学校から大学の教育を見ても分かる通り、教育が学校に偏重している。そして皆、自分の義務を果たすことなく、「学校が悪い、先生が悪い」と言っていて、先生たちが気の毒です。一方で、メディアによると身勝手な教育者らしからぬ先生も大勢いるようです。不祥事は根絶しなければなりません。

学校の先生に全部任されてもね。「親の顔が見たい」という言葉がありますが、家庭でしつけのできていない子供たちを教育できませんよ。学校教育はもちろん大事で、教育の中核を成すものだと思いますが、あくまで教科が中心でしょう。現代、そして将来の社会を支える人をつくる、そして、その個人が幸せに生きるということを、社会全体で考えない限り駄目です。

(つづく)


【プロフィール】

野依良治(のより・りょうじ)  1938年9月生まれ、京都大学卒業。名古屋大学特別教授、工学博士。00年に文化勲章を受け、01年に「不斉合成反応の研究」でノーベル化学賞を受賞。