ノーベル賞受賞者が見る教育の未来 野依博士に聞く(3)

ノーベル化学賞受賞者である野依良治博士に、日本と教育の未来について聞いたインタビューの最終回。テーマは日本語の大切さ、人工知能(AI)と教育の関係、人類文明の持続と教育の役割などに及んだ。(聞き手・教育新聞編集部長 小木曽浩介)

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日本語の大切さ
――生かすべき特質の中に、日本語も入りますか。

私は最近、理科や科学における日本語の大切さを主張しています。

日本人は江戸後期から科学を学び始めました。長崎の出島などで蘭(らん)学をやり出し、外国語を漢字翻訳して使い、さらにドイツ語、英語、ロシア語などを取り入れながら、独自の科学を紡いできた。

音訳でなく、翻訳した先人は偉い。例えば「cell」を「細胞」と翻訳したから意味が分かる。音訳してセルとしていたら、深い意味は伝わらなかった。当時の大勢の大学者たちが、本当に苦労して外来語を日本語に翻訳し、漢字熟語を作ったことに感謝しています。もちろん中国から来た言葉もたくさんある。

「責任感の欠如に本気で怒っている」と語る野依博士

翻訳した文章語によって抽象概念の理解が進んだわけです。その結果、日本は東洋の国としては非常に珍しく、比較的早期に国語による理科、科学教育制度を打ち立てられた。現在でも、理科を日本語で教育するよう定められています。一般人の理科理解能力の高さは先人のおかげです。

今の若い研究者たちは英語で知識、情報をやりとりすることに何も問題はないと言うけれど、それは自信過剰。語源となるラテン語、ギリシャ語に通じていない大部分の日本人にとっては、英語は外国語であり「道具」です。しかし、母語である日本語は「精神」そのものであると知ってほしい。

漢字日本語の知的伝達能力は圧倒的に高いので、今後も読み書きについては正当な言葉を充実していく最大限の努力があってほしい。

――「文化は言語と情緒、論理と科学の四要素から成る」ですね。

そうです。私たちは教科書や論文で学ぶ「形式知」とともに、経験に基づくたくさんの「暗黙知」を駆使しながら科学研究を行っています。知らず知らずのうちですが、この暗黙知は言語に根差す文化に直結しています。

科学は言語と不即不離です。日本語の科学を英語国民はscience、ドイツ人はWissenschaft(ヴィッセンシャフト)=知の根源と呼びますが、実はそれぞれに思考範囲が相当違うんじゃないかと思います。

世界中の人が生み出す研究成果のうち、論文を通して正当と認められる最大公約数的な形式知を「科学知識」と呼んでいるのです。その周辺には伝承医学など、まだ形式知になりきれない独自の文化に根差す暗黙知がある。これを十分生かすことなく、英米人をしのぐのは難しいですね。

言葉が違えば認識の仕組みが異なるのは当然です。英語では太陽を「the sun(サン)」という。そして惑星を「Mercury(マーキュリー)」 「Venus(ビーナス)」 「the earth(アース)」 「Mars(マーズ)」 「Jupiter(ジュピター)」 「Saturn(サターン)」 「Uranus(ウラヌス)」 「Neptune(ネプチューン)」と、地球以外はローマ神話の神々の名前で呼んでいるわけです。

一方、われわれが水星、金星、火星、木星、土星と呼んでいる名は、曜日と同じように、中国の五行説に由来している。

だから恐らく、西洋の子供と、中国や日本の子供たちが宇宙にはせる夢、思い、これは絶対に違うと思います。

――美の女神ビーナスと金星では、イメージは全く違いますね。

科学的事象を漢字で認識し生かせるのは、もはや日本人と中国人しかいない。このかけがえのない宝物の大切さを訴えたいのです。

術語は必ず翻訳を
――それでやはり、「カタカナ術語はいかん」と。

そう、絶対に。「横書き」が前提条件になりますが、地名や人名などの固有名詞は原語で書くか、適切な音訳でも許される。だが、外来術語は意味を持つ言葉なので、翻訳してもらわないと理解できません。

例えば大隅良典博士がノーベル賞を受けたオートファジー。一般人で分かる人がいますか。原語の“autophagy”のままか、「自食作用」でないと誰も理解できない。

これは社会の全ての営みに関わります。科学技術的な用語については、科学教育行政、教育界、研究界の怠慢ですが、法律用語、行政用語も同じく無神経です。報道関係者も真剣に考えてもらわないといけない。もちろん教育新聞にも、その名前からして大きな責任がある。

――はい。われわれにも、まさに。

「漢字かな交じり文」は日本の雑種文化の特徴ですが、安易に流れてはいけません。言葉、特に話し言葉は時代と共にあり、すでに定着しているものは仕方がない。しかし文化庁の国語に関する世論調査によると、音訳のカタカナ単語の理解度は全く不十分といいます。日本人の多くが日本語に関心があり、大切にしたいと思っている。にもかかわらず、日本の知性に責任を持つはずの行政官、大学人、企業の指導者、教育新聞を含む報道機関、出版社が正しい翻訳語を使わないのはどうしたことか。大学教育に関わった私自身も加担者の一人として反省している。

なぜ「指針」という立派な言葉があるのに、ガイドラインと言うのか。「作業部会」でなくワーキンググループ、「意見公募」がパブリックコメント、「追跡調査」がフォローアップになるのか。「共同事業体」のコンソーシアム。「訪日外国人旅行者」のインバウンドなどは半数以上の人が分からないという。昨今の「インクルーシブ教育」も、すぐに教育新聞が正しく翻訳しないといけません。JR山手線の新駅名「高輪ゲートウェイ」には大変違和感を持ちます。

これは学校に限らず、本当は日本社会全体の教育問題です。放置すれば、破壊的な結果をもたらします。

化学や物理学など昔から長く続いてきた分野は、まだ健全で研究力の水準も高い。しかしここ30年ほどで発展した生命科学分野では、専門家以外には意味が通じないカタカナ術語が氾濫しています。これでは「理科離れ」が起きるのは当然です。

――中国はどうしているのでしょう。

中国の強大な一党独裁体制に批判はあるものの、政府の将来構想とその実現に向けた意志には見習うべきものがあります。問題があってもやるべきことは断じてやるという気概。日本のように成り行き任せではなく、若者育成も戦略的で、米国の大学で博士を取る学生の数も30~40倍多い。

中国は将来のあるべき姿を考えて、遠大な計画を立てています。専門用語を含めて、全ての外来語を中国語に翻訳しています。今から10年後、20年後の中国と日本における一般人の科学理解能力は、確実に差が付くはずです。北京の書店に行くと、理科や科学技術本の書棚がとても長い。これが必ず国力を左右する。理科は全国民のためのもので、入学試験や一部の物好きのためにあるのではないはずです。

私たちは漢字熟語で抽象概念、具体概念を認識しています。個人的に英語が少々使えてもだめです。国の指導者たち、特に教育界は自国の将来をどう考えているのか。私はその責任感の欠如に本気で怒っているのです。

人工知能時代に備える
――人工知能(AI)と教育の関係については。

AIはどんどん進みます。論理解析や知識集約的な問題、画像認識、音声認識などで圧倒的な能力を発揮するのは間違いないが、一体どこまで進むのか。科学者たちが想像するには、ICTなど情報技術が発展して、時間と距離の制約を取り除き、実社会とサイバー社会が溶け合った「超サイバー社会」になる日が必ず到来する。

それは大きな恩恵がある一方、人々が恐れているのは2025年には現在の職業の半数程度が消失するので、早期の準備教育が必要だということですね。

科学者は傲慢(ごうまん)で、自分たちの創造性は侵されるはずがないと言うけれど、私はそう思っていない。科学は自然原理の上に立つ理路整然とした学理ですから、このままでは相当に危ういと思います。容易に予測される進展を求めるのではなく、真に創造的でなければいけない。さっき言った暗黙知を強くしないと、形式知だけでは将来絶対にAIに負けるでしょう。

機械は壊れることはあっても間違いを起こしませんが、人間はしばしば愚かな間違いを起こす。しかし、そこにこそ創造の機会がある。つまり人間の本質を認識し、尊重することが大事でしょう。ここに若い人たちの本当の英知、思想が必要です。

――それを認めない世の中になりつつあります。

私はそれを大変懸念しているわけです。AIの推進者は自己利益の拡大のためでなく、人権も含めて来るべき社会の基本構想を明示する責任があると思います。一体、AIは誰のものか真剣に考えてほしい。個人、企業、政府、国連…それぞれに責任がある。特に技術開発の主体が、営利追求の民間企業であることにも懸念がある。いかにすれば国内に限らず国際社会で、政治、経済、教育における公正さを担保して、理不尽な格差を回避できるのか。

取り返しのつかない人類的な失敗や、国力の劣化、人権の侵害を招いてはならないと思います。科学技術はいつも正しいと思われる目標、目的に向かって、善意で始まるのですが、最終的に悲惨な結果をもたらすことがある。原子力爆弾の発明がその例です。これが世界の覇権争いの原点ともいえるが、それでいいのか。

やはり人間は謙虚でなければいけない。その倫理を教育で培って、人工知能や未来の生命技術に備えるということだと思います。

読者に伝えたいこと
――それでは、まとめとして教育新聞読者へのメッセージを。

“anthropocene(アントロポセン)”という言葉があります。「人間の活動が自然の力や仕組みを上回る時代」という意味です。

人間の思慮不足と傲慢(ごうまん)さが地球環境の劣化をもたらしている。一番の問題は人類が今、再生可能な天然資源の170%を消費していることです。2018年は、8月1日までに年間割り当て分を使ってしまった。しかも、それ以降はわれわれの孫やひ孫、やしゃごなど、後継世代の許可を得ないまま収奪して使っているわけです。都合が悪いので、幼い子供たちにはこれを知らせない。倫理的にあってはならないことだと思っています。