子供を主語にした学びを~木村泰子氏の教育改革(中)

フル・インクルージョン教育、不登校ゼロ、学級崩壊ゼロ、モンスターペアレンツゼロ。これらはすべて木村泰子氏が大阪市立大空小学校(大空小)の初代校長として、教職員や地域の人たちとともに実現してきたことだ。学校の当たり前を問い直し続けてきた大空小の取り組みとは、どのようなものだったのか。大空小で木村氏が教職員と共に行った「どんな学校でもすぐにできる」現場からの教育改革に迫る。

これまでやってきたことは通用しなくなる
――大空小は2006年の開校以降、どのように「みんながつくる  みんなの学校」になっていったのですか。

紆余(うよ)曲折の末に06年4月、大空小が新設されることになりました。新しくできた学校なので、伝統もなければ、PTAすらない。ゼロベースから学校づくりに取り組めるわけです。こんなに楽しいことはないと思いました。

学校が始まる直前の春休みに、25人前後の教職員に集まってもらいました。どの教職員も、その日が初顔合わせでした。

最初に私が「新しいタイプの学校をつくろう」と呼びかけ、全員でビジョンを考えようと、1枚の紙を渡しました。でも、誰もペンが進みません。

大空小に校則はない。「自分がされていやなことは人にしない。言わない」という『たったひとつの約束』があるだけだ。写真は映画「みんなの学校」より。(C)関西テレビ放送

そこで、まずは雑談から始めました。小学校の6年間で、子供は幼児から中学生になる。心身共にものすごい勢いで成長を遂げ、人生の中で最も大切な空気を吸う時期です。そうした発達段階にあって、大空小では「おはよう」から「さようなら」まで、何を学べばよいのか。意見を出し合う中で、「10年後の社会で役に立つ力」を学ぶべきだとなりました。

06年当時、私たちが想定した「10年後の社会」は、携帯電話などがさらに進化し、歴史の年表や九九を覚える必要なんてなくなっているだろうというものでした。また、多様化がさらに進み、さまざまな人間が共生する社会になっているだろうとも考えました。だとしたら、これまでの学校でやってきた学びでは、「なりたい自分」になれないのではないか。そういった10年後のイメージをみんなで持ちました。

でも、イメージは持てたものの、具体的なビジョンが描けない。そこで、ベテランは自分がこれまでやってきた教育、若手は自分がこれまで受けてきた教育を振り返りながら、「10年先に必要な力」を子供たちが学ぶ上で、「これがあったらダメ」という悪(あ)しき学校文化を挙げていこうと提案したんです。

すると、教員、給食調理員 、事務職員、養護教諭、教頭など、学校に関わる全職種から、見事なほどにさまざまな意見が挙がってきました。それらを一覧にしたら、なんと100項目以上に上りました。

――どんなことが書かれていたのでしょうか。
「学校の学びは進歩しているのか」と問う木村氏

例えば教員経験4年ほどの若手からは、「先輩教員は何でも『お伺いを立ててからやれ』と言う。あるいは『あなたには経験がないから、子供が迷惑するから、勝手なことはするな』と言う。学級通信を毎日発行していたら、『あなたのクラスだけ学級通信を出すと、周りとの調和が乱れる』と言われる」といった意見が出てきました。

逆にベテランからは「何でもかんでも『主任が責任を持て』と言われる。管理職の仕事は何なんだ」。学校職員からは「学校で子供を育てるのは教員だけの仕事なのか。子供は教員の前で見せる姿と、自分たちの前で見せる姿は全然違う。それなのに、自分たちが子供に関わろうとすると、やめてくれと言われる」といった意見が出てきました。

その他にも「時間割ありきで授業を切ってしまう」「他のクラスの子供を叱ったら、担任の機嫌が悪くなる」「気をつけ、前にならえは、何のためにしているのか」などの意見も出てきました。どの意見もリアルで面白かったですよ。

次に、100以上集まった項目の中で「残す必要がある」と思うものを挙げようと提案しました。すると結果はゼロ。一つも「残す必要がある」ものはなかった。最終的に、全職員が納得した上で、これらの全ての項目を“断捨離”しました。

どんな学校でもすぐにできる教育改革
――新しく作り出すよりも、まずは過去を捨てたわけですね。

よく大空小の取り組みについて、「校長がトップダウンで新しい教育をつくり上げたんですか?」「ベテランの教員から文句が出なかったんですか?」などの質問をいただきますが、全ては全員が納得して「これがあったらダメ」というあしき学校文化を捨てただけなんです。大空小の断捨離は、学校の当たり前を問い直し続けている行為とも言えるでしょう。

――これは、大空小のような新設校でなくてもできることなんでしょうか。

どんな学校でもできます。「すぐに」できます。

今の学校現場は、ダメだ、良くないと分かっていながら、過去の文化を引きずっているのです。それが、現場をものすごく大変にしている。過去の文化を引きずりながら、「モンスターペアレンツをなくせ」「コミュニティ・スクールを作れ」と次々に要求ばかりされているわけです。

一方で、過去の文化をゼロの状態にしたら、今必要なことをやらなければならなくなる。つまり、不必要なものを断捨離すれば、新たなものを作るしかなくなるのです。

新しく作る作業は、一人ではできません。毎日、職員室で雑談しながら「これはやってみよう」「これに変えてみよう」と、教職員全員で試行錯誤を積み重ねていけばよいのです。逆に、「これは捨てたくない」という過去の文化があれば、なぜ捨てたくないのかを皆で話し合えばよいのです。

――なぜ、多くの学校はそれができないままなのでしょうか。

多くの学校があしき文化を「捨てたくない」「なくしたくない」と考えるのは、教育活動の主語が教員になっているからです。つまり、「教員のための学校づくり」になってしまっている。繰り返しますが、学校は「先生が教える所ではなく、子供が学ぶ所」なのです。

全ての主語を子供に変えれば、学びは180度変わります。そして、スリムな学びが作れます。

「担任」ではなく、「担当」に
――大空小では、固定担任制を廃止されていたそうですが、その狙いを教えてください。

固定担任制も、あしき学校文化の一つだと私は思います。10年後、目の前の子供が“なりたい自分”になるための学力を、担任1人の指導で付けられるでしょうか。大空小で「付けられると思う人は担任をしてください」と聞いたら、誰も手が挙がりませんでした。そこで、全員が納得の上で固定担任制を廃止し、担当制に変えたのです。

担任はクラスの全ての子供に対し、1人で責任を持ちます。でも子供と教員も、お互いに相性が合わないようなことが多々あります。例えば、クラスで暴れる子がいたとして、その原因をひもといていくと、その担任の下では安心して学べないからというケースもあるのです。その子が安心して学べるようにするには担任が代わったらよいわけですが、固定担任制だとそれができません。

教員の中には、算数の授業が得意ではない人もいます。逆に、算数の授業が得意な人もいる。ならば、得意な先生の力を使わない手はありません。こうした場合も、固定担任制だと代われませんが、担当制であれば代われます。

――チームで子供をみていくということですね。

子供に「10年後に必要な力」を付けさせることを考えたら、担任1人では絶対にできないんです。「1人でできない」という空気が学校に広がったら、大空小のように仕組みを変えられます。でも、そうした空気がない中で仕組みだけを変えようとしても無理です。

この順番が間違っているから、みんな苦しんでいるのではないでしょうか。

 (先を生きる取材班)

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