子供を主語にした学びを~木村泰子氏の教育改革(下)

障害の有無にかかわらず、全ての子供が同じ教室で学ぶフル・インクルージョンを実現した大阪市立大空小学校(大空小)。その初代校長を務めた木村泰子氏は、全ての子供たちが学び合い、育ち合う、多様な空気を学校につくり続けた。最終回は、インクルーシブ教育や、子供を主語にした学びを実現するために、教員にはどのような姿勢が求められるのかを聞いた。


障害を見ていたら、その子は育たない
――大空小では、フル・インクルージョンを実現しました。近年、インクルーシブ教育への関心が高まり続けていますが、今後の見通しは。

今、教員養成課程を取るには、特別支援教育を7時間受講しなければなりません。その7時間の内容は、ほとんどが医学モデルに基づく授業です。

医学モデルに基づく授業では、「アスペルガーはこうです」「ダウン症とはこうです」といった形で知識を中心に学びます。もちろん、こうした知識は持っていた方がいい。でも、医学モデルだけでなく、社会モデルに基づく知識も学ぶ必要があると思います。

――社会モデルとは、どのようなものでしょうか。

例えば、自閉症の子は周りの人との関わりの中で、その特性が現れます。つまり、周りの子供の関わりを変えれば、自閉症の特性は表に出てこないわけです。そうして周りの子供が育てば、自閉症に限らず、さまざまな特性のある子供が伸び伸びと学べるようになります。

映画『みんなの学校』では、全ての子供が学び合い、育ち合う姿が捉えられている(C)関西テレビ放送

映画『みんなの学校』にも出ていたマアちゃんは、言葉を持っていません。いつも「ああ」と言います。大空小では、「マアちゃんの『ああ』は何と言っているのかな?」と、みんなで想像していました。こうして想像する力は、マアちゃんがいなければ養えません。

こうした学びができるのは、マアちゃんを含む全ての子供がいつも同じ教室で一緒にいるからです。都合の良いときだけ一緒にいて、国語や算数は違う教室でという形に分断されてしまうと、子供たちは「あの子たちはちょっと違う子なのかな?」と思ってしまいます。

どの子供も、いつも一緒にいるからこそ、マアちゃんの「ああ」を理解しようとするのです。いつも一緒にいれば「暴れる子」は「困っている子」になるけれど、いつも一緒にいなかったら「暴れるから違う部屋に行かされている迷惑な子」になってしまいます。

周りをどのように育てるか、これが社会モデルに基づくインクルーシブ教育です。医学モデルと社会モデルは、どちらが良いということではなく、この違いを理解した上で、教職課程の7時間学んでほしいと思います。

同じダウン症の子でも、一人一人特性は違います。子供を見ていれば、障害は後からついてくる。でも障害を見ていたら、その子は育ちません。これが社会モデルか、医学モデルかの違いです。

今の学校の空気は画一的
――これからの教員に求められる資質を、どう考えますか。

私はこれからの教員に必要な資質能力は一つしかないと思っています。それは、「人の力を活用する力」です。大空小では、この力を付ければ全員合格としていました。「人の力を活用する力」こそが、子供を主語に変える、行動に移す力なのです。

例えば、「○○先生が嫌だから学校に行けない」という子供は、そこら中にいます。ならば先生が代わればよい。これが普通の考え方です。でも、今の学校ではそうした考え方がタブー視されている。子供が学校に来られないのは、その子の発達的特性や家庭に原因があるのではありません。「不登校」と言われている子供は、安心して吸える空気が学校にないから、学校に来られないのです。

つまり、学校の空気が画一的なのです。そんな画一的な空気を吸っている周りの子供も、そのままでは10年後の社会で通用しません。全ての子が吸える空気は、多様なものでなければならないし、多様な空気を吸いながら学んだ力は、10年後の社会で必ず役に立ちます。

――多様な空気をつくるには、どうすればよいのでしょう。

例えば大空小では、授業中に飛び出す子がいても、「あんな子がいるから勉強できない」などとは誰一人言いません。先生が「何をしているの、帰ってきなさい!」と対応すれば、周りの子供は先生と同じことをします。先生が「あの子は迷惑な子」だと思っているから、子供も「あの子は迷惑な子」だと思うんです。

そうではなく、子供が教室から飛び出したら、「なぜ出ていったのだろう?」と考える。あるいは、教員の発言や行動に耐えられなくなった可能性もあるでしょう。周りの子供に聞いたら、「先生が○○って言ったからだよ」と指摘してくれるかもしれません。そうなったときに、教員が子供に謝って、やり直しできるかどうか。教員がやり直すことで、子供が安心する場を作っていくのです。

今の教員は力がないとダメだと思っているから、子供に謝ることができない。でも教員が失敗を認めて、謝って、やり直す姿を見たら、子供は大人に憧れを持ちます。情けない、頼りない、力がなくても、謝ってやり直すことができる教員は、子供と信頼関係を築けるのです。

そうした関係ができれば、学級崩壊も起きません。私が大空小にいた9年間は、一度も学級崩壊が起こりませんでした。不登校もゼロ。なぜなら、子供と教員の関係がややこしくなってきたら、担当が代わって、授業が変わるからです。それが、子供を主語にした学びです。

すべての営みを自分事として捉える
――子供を主語にしたら、いろいろなことが変わるのでしょうか。

子供を主語にすると、教員にプライドもリスクもなくなります。頼りない教員であっても、「この子たちがどうしたら笑えるか」ということだけを考えていたらいい。自分一人で対応するのは無理だと思う問題が起これば、先輩を呼んできてバトンタッチすればいい。「人の力を活用する力」を発揮すればいいのです。

ちなみに大空小では、「先輩」の定義を決めていました。それは長年働いている人でもなく、知識をたくさん持っている人でもなく、「過去にたくさんの失敗を経験してきて、その失敗をやり直ししてきている人」です。過去の失敗をやり直し、自分を変えられるからこそ、新たな学びが生まれるわけです。

――今の学校で多様な空気がつくられず、新たな学びができなくなっているのは、何が原因なのでしょう。

突き詰めて言えば、今の20~30代は私たちが教えてきた世代なので、私たちの責任だと思います。学校が画一的な空気の中で、足りないことが山ほどあったのでしょう。中でも一番足りていなかったのは、全ての営みを自分事として捉える力だと思います。

友達がいじめられてもひとごと。学校に通えない友達がいてもひとごと。給食が食べられないと泣いている子がいても、自分は食べられてよかったとひとごと。勉強ができない子がいても、自分は分かっているからひとごと。先生に怒られている子がいても、自分は怒られてないからひとごと……。

みんながひとごとを自分事として捉えるだけで、多様な空気がつくられていくのです。

――今後、取り組んでいきたいことは。
AIにはできない教員の専門性を「子供と子供をつなぐこと」と語る木村氏

映画『みんなの学校』を見てくださった方や、対話してくださった方が広めてくださったおかげで、「子供を主語に」という学びに関しては、ようやく少し手応えを感じ始めています。

何よりも、もうこれ以上、1人の子供も死なせてはいけないと強く思います。子供が死ぬのは独りぼっちになるからです。教育にいくら予算をかけようとも、子供の命が奪われてしまったら、取り返しがつきません。子供がそうした状況に追い込まれないで済むような社会を作りたいですね。

私がやれることなど微々たるものですが、みんながつながっていけるような活動をしていけたらと思います。

(先を生きる取材班)

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