世界の教室から 教育先進国・フィンランド 第1回 フィンランドの教育が掲げる目標

慶応義塾大学教授 今井 むつみ

■フィンランド人は世界一英語がうまい国民

筆者は、2017年に初めてフィンランドを訪れた。そこで誰もが英語をとても上手に話していることに驚いた。

私が知る限り、英語を母語や公用語としない国の中では、世界で最も国民の英語能力が高いのがフィンランドである。しかも、フィンランド語は英語から系統的には遠く、言語として共通点が多いわけではない。都留文科大学学長の福田誠治氏の『競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功』(朝日選書)を読み、競争を当然とする世界各国の教育観とかけ離れた理念が気になっていた。

一体どんな教育をすれば、フィンランドのように誰もが英語を自在に使えるようになるのかだろうか。

強い興味を覚え、18年9月に再びフィンランドを訪れ、小・中・高校の授業を見学した。さらに、教育政策や評価に関わる研究者たちにもインタビューを行った。

エルノ・レヘティネン・トゥルク大学教授
■教育先進国・フィンランドが掲げる目標

フィンランドは教育先進国として有名だ。経済協力開発機構(OECD)のPISAテストでは、読解、数学、科学の全ての分野で常にトップクラスを維持し続けている。特に、21世紀に最も重要視されている「オープンエンドな問題を解決する力」では抜きんでている。

世界を驚かせたのは、ヨーロッパの「小国」がいきなりPISAで世界トップの好成績を見せつけたことだけではない。その背後に、これまでの教育の常識を覆す、さまざまなポリシーや実践があることで注目されるようになった。

例えば、フィンランドの学校は子供が学校で過ごす時間が世界で最も短い。宿題もない。そして、生徒を成績で順位付けするためのテストもない。いわゆる「早期教育塾」「進学塾」のようなものは存在しない。それなのに、PISAで世界トップレベルなのである。

フィンランドは常にヨーロッパの中で経済的に厳しい状況にあった。海洋資源もなく、国際的に競争力のある産業もなかった。そのような状況の中で「国力を上げるためには、国民の知識力を上げるしかない」という覚悟の下、1970年代に大きな教育改革に着手した。改革では「親の経済力や学歴、居住地域にかかわらず、誰でも、どこでも均等に高い質の教育を受ける機会を提供する」こと、つまり、quality and equity(質と公平性の保証)が国の目標として掲げられたのである。

■フィンランドの成功の秘密

フィンランド教育の成功の秘密を一言で言うなら「しぶとさと柔軟さ」だろう。フィンランドの教育改革は一朝一夕で実を結んだわけではない。フィンランドはもともと天然資源も乏しく、これといった産業がない貧しい国だったが、さらに91年のソビエト連邦崩壊で、最も頼っていた輸出国ソ連を失い、経済的に大きな苦境に立たされることになった。

しかし、その状況でもフィンランドは教育目標を変えなかった。隣国のスウェーデンでも70年代にフィンランドと似た理念を掲げた教育改革を行ったが、政権が代わるたびに教育政策が大きく変えられた。それに対してフィンランドでは、政治家は教育政策に口出ししないことが不文律となっていたために、政権が代わっても、当初の目標をずっと保ち続けることができた。

それこそがフィンランド教育の成功と隣国スウェーデンの低迷の原因であると、フィンランド教育界の重鎮で教育政策に深く関わってきたトゥルク大学のエルノ・レヘティネン教授は言う。フィンランドの教育が注目されるのは、単にPISAテストの成績が良いということではない。教育が、国民の生活の質や経済力の向上の直接の要因になってことが評価されているのである。

2016~17年の世界経済フォーラムの報告書「The Global Competitiveness Report」で、フィンランドは「国民の健康と初等教育」で世界一とされている。

ただし、70年代の目標を変えず、ぶれずに教育改革したということは、同じことを続けていたというわけではない。教育の質を高めていくために常にカリキュラムの改善を行い、実験的に施行し、学術機関がそれを評価するというサイクルで、柔軟に改善し続けている。カリキュラムが依拠する理論的基盤も、学習科学の理論の変化と共にアップデートされている。

フィンランド教育の成功の背後には、国民の幸福の実現という理念と信念を曲げずに、目先の経済より教育を優先し、改善の努力を惜しまなかったところにあるのだ。


【筆者略歴】 

今井むつみ(いまい・むつみ) 1989年、慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。現在、慶応義塾大学環境情報学部教授。専攻は認知科学(言語認知発達、言語心理学、問題解決過程)、教育心理学(第二言語獲得と学習)。著書に「学びとは何か」(岩波新書)、「ことばと思考」(岩波新書)、「ことばの発達の謎を解く」(ちくまプリマ―新書)、「ことばを覚える仕組み」(ちくま学芸文庫)、「ことばの学習のパラドックス」(共立出版)など。教育新聞で2018年1~3月に「『学び』とは何か―認知科学からの視座―」を連載。