対談 給特法と教師の仕事 現職教師からの問題提起(下)

教師の仕事の本質とは何か――。中部地方の公立高校教師で、給特法の見直しを求めて署名活動を展開した斉藤ひでみ氏(仮名)と、埼玉県の公立小学校教師で、時間外労働の残業代の支払いを県に求め、裁判を起こした田中まさお氏(仮名)による対談。第3回では、現実の矛盾に対して立ち上がった二人の現職教員が、教育への思いを語り合う。


勤務時間内は「正規」、勤務時間外は「自主的」の矛盾
――実質的に命令している以上、それは「正規の業務」で、残業代が発生するものだというのが田中先生の主張ですね。給特法でも残業代が出る可能性はあると。

田中 問題は今やっている業務が、教師の「自主的な業務」となるかどうかです。

斉藤 現状は、勤務時間内であれば全て仕事で、勤務時間外であれば超勤4項目を除いて「自主的な業務」とみなされているわけです。

田中 ちょっと待ってください。今の指摘は重要です。確かに、勤務時間内だったら「正規の業務」、勤務時間外だったら「自主的な業務」。でも、やっていることは同じ。そんなことが理論上あり得るでしょうか。おかしいですよね。

教員の業務は矛盾をはらんでいる

斉藤 一番分かりやすいのは部活動です。部活動は、勤務時間内は「正規の業務」として命令できるとされていますが、現実に、教師の勤務時間内に終わる部活動なんて、ほとんどありません。その結果、自主的にやっているとみなされるわけです。

テストの採点にしても、勤務時間外にやっている分は「自主的な業務」というのが、これまでの判例だったわけです。

田中 これが教職の「特殊性」と誤って解釈されてきたのではないでしょうか。こうした業務は本来の「特殊性」ではないですよね。勤務時間内に終わらない仕事を命じていることは、時間外労働を命じていることと同じです。勤務時間外になった途端に「自主的な業務」とされてしまうのはおかしな話です。

おかしいことはおかしい

斉藤 裁判が報道されて、田中先生が定年間近の小学校教員だと知ったとき、本当にうれしいものがありました。今、SNSで声を上げている教員の多くは若手なのですが、ベテランにも同じようなことを考えている人がいるのだと。しかも、私たちの動きとは関係なく、ずっと以前から裁判を考えられていたのですよね。

田中 私の場合は定年にならないと、裁判を起こせばいじめられますから。でも、定年後ではなく、現職の教員でいる間にやらなければと思っていたのです。裁判にあたって、実は、いろんな弁護士から協力したいという申し出もあったのですが、全て断りました。

斉藤 それはどうしてですか。

田中 その弁護士らに任せたら、きっとスピード感を持って、勝つために裁判に臨んでくれたでしょう。でも、私はおかしいことをおかしいと主張したかっただけなのです。残業代が出ないのはおかしい。「だからみんなで考えよう」と訴えたかっただけなのです。

斉藤 この問題にはさまざまなアプローチが必要です。私の活動は、なぜか悲壮感が漂うらしいのですが、田中先生のように、今の問題のおかしさを自然体で訴えることに共感する人も多いと思います。

私が署名を始めたときは、給特法自体がほとんど知られていませんでした。だから、何かを変えたいというよりも、まずは給特法を知ってほしいとの思いがありました。

田中 今では、給特法は多くの人に知られるようになりましたね。

斉藤 そうですね。一方で、給特法の改正ばかりが一人歩きしてしまっています。そのため、文科省に署名を提出した後の記者会見では、改めて何を変えたいのかを訴えました。

田中 人間が豊かに生きていくために必要な道具が法律。それなのに、現状は法律に縛られてしまっている。それがそもそもおかしい。

署名を開始した当初、給特法はほとんど知られていなかった

斉藤 その通りですね。私たちはより良い教育をしたい、より良い授業をしたい。そのために、今の学校の状態が駄目だと訴えているのです。

田中 私は、これまでに病休で辞めていく同僚を何人もみてきました。その人らのことを考えなければいけません。人として、この状況をどう思うか。豊かなはずの日本で午後9時まで残業代も出ずに働いている人が多くいるのは、それ自体が先進国として恥ずかしいことです。

斉藤 全ての教師が訴えるべきです。自分の権利を主張する。権利が侵害されていることに対して、教師自身が主張できてないというのが、この国の民主主義が成熟していない証しだと思います。教師がそういう感覚を持たずして、子供に民主主義を教えられるのでしょうか。

田中 そうですよ。その感覚がなかったら、日本は発展していきません。

斉藤 単に残業代がほしい、勤務条件を改善してほしいという話ではないのです。社会を良くするために、おかしいことはおかしいと訴えなければならない。教師としてのプライドの問題です。

教師の仕事とは何か

斉藤 今、教師としてどんな子供を育てたいのかという話になりました。しかし、本来、そうした教育論こそが私たちのやりたかったことのはずです。

田中 何度も言いますが、私は教師という職に自由を求めているのです。特に若い教師に自由を与えてほしい。今は仕事を命じすぎている。

私の学校では、無言清掃、無言配膳、無言移動と、子供に無言で行動させることを徹底させています。若い教師が1年中、学校の方針に従って子供を静かにさせることに一生懸命になっている。黙って掃除をする、黙って給食の配膳をする、黙って歩く。それが教育だと思っている。

静かにできることは大切です。でも、自分の考えを持ち、主張できる子供を育てることの方がもっと大切です。

斉藤 そういった状況に疑問を持たなければ、自分自身が置かれている不当な状況にも違和感を持たず、服してしまうのではないでしょうか。

田中 そうかもしれません。あるとき、私は若い教師に聞きました。「あなたは何のために教師になったのか」と。「こんなことしたくて教師になったのか。教師になる前は、教師になったらやってみたいことがあったのではないか」。そう声を掛けると、はっとした表情を浮かべる教師もいます。自分の仕事は何なのか、気が付くのです。

斉藤 それこそが、本来の教職の「専門性」や「特殊性」と言われるものなのでしょうね。もっと自由な空気の中で、専門性を深めていきたいのに、実際は命令される仕事ばかりでがんじがらめにされてしまっている。

田中 小学校教師は、子供たちに夢を与えられる職業です。私は教師の仕事に携われたことに最高の幸せを感じています。「楽しいから長く続けられる。厳しいから自分を支えられる。自由だから豊かな発想が生まれる」。このことを、私は38年間の教師生活で学びました。

(司会 藤井孝良)

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