多文化共生社会への第一歩(下)たった一人でも寄り添う学校

各国の日本語教育の現場に足を運び、前任校の横浜市立飯田北いちょう小学校では、在籍児童の半分が外国籍か外国にルーツを持つ環境の中で、国際教室を担当した菊池聡教諭。2018年度から赴任している同市立仏向小学校で実践する、菊池教諭の新たな挑戦にスポットを当てる。


一人のためにみんなが力を合わせる学校
――仏向小に異動して、どのようなことに取り組もうとしているのですか。

実は今、中国の学校と姉妹校締結をしようと準備を進めています。仏向小には中国にルーツを持つ子供が多いのですが、普段の学校生活では陰に隠れてしまいがちです。中にはみんなの前では中国語を使わないようにしていたり、国籍すらも隠していたりする子もいます。

姉妹校締結が実現し、中国の子と交流する場面ができれば、その子たちが通訳となって日本語と中国語でコミュニケーションを促してくれるでしょう。彼らの自信につながるし、日本人児童にとっても多様性に触れられると思います。

本校に赴任後、一番力を入れているのは同僚の教員の意識改革です。例えば、普通の学校では、保護者向けの便りは一般的な漢字仮名交じり文を使っていますが、前任校の飯田北いちょう小では、全部の漢字にひらがなでルビを振っていました。

もちろん手間は掛かりますが、外国人でもひらがなであれば読める人が多いだろうという配慮です。たとえ読めなくても、子供が読んで母語で説明してくれるかもしれません。ルビ付きの漢字は、「みなさんを大事にしていますよ」という学校からのメッセージでもあります。

外国人の保護者と面談する際、相手が「大丈夫です」と言ってきても、それは日本人が外国で「オーケー」「イエス、イエス」と訳も分からず答えているのと同じです。そういう保護者がいることを前提に、本校でも来年度から、保護者向けの手紙にはルビを振るようになりました。

また、重要な懇談会や面談、説明会などには、通訳を置くことも決まりました。

マイノリティーが「少ない学校」ならではの事例をつくりたいと話す菊池教諭
――飯田北いちょう小とは異なる難しさがあるということなのですね。

飯田北いちょう小は「やらざるを得ない」状況がありました。外国の子供と日本の子供が、同じように学べる環境を作らなければ、学校が運営できない状況にあったわけです。

よく「飯田北いちょう小は、外国人児童が多いからそうした取り組みができた」と言われます。私はその度にこう返しています。「一人だからこそ、やってあげてください」と。

外国の子供たちが少数である仏向小に異動したとき、それを証明したいと思いました。一人のためにみんなが力を合わせる学校に変えたい、と。

これまで日本では、外国人が多く居住する地域の取り組みばかりに注目が集まってきました。現任校の仏向小では、飯田北いちょう小の経験を基にしながら、同僚と共に「少ない学校」ならではの実践をつくり、発信していきたいと考えています。全国の教員に「具体的にこうすればできるんだ」と感じてもらえるような実践を展開できればと思います。

多文化共生の本質
――多文化共生教育の実現に向けて、日本社会が変わらなければいけないということを実感できました。
菊池教諭の著書『<超・多国籍学校>は今日もにぎやか! 多文化共生って何だろう』(岩波ジュニア新書)

日本の問題の一つは、外国人への日本語指導やさまざまな支援を、草の根のボランティアに任せてしまっている点です。ボランティアの人たちはとても献身的で、それが地域の豊かさにつながっている面はあります。しかし見方を変えれば、それが日本の駄目なところで、財政的な面も含めてしっかり制度を整えていかないと、持続可能な取り組みにはなりません。

その点は、行政よりも企業の方が積極的かもしれません。前任校の飯田北いちょう小には、近隣の大和市の工場に勤務する外国人の保護者が多くいました。そこで、大和市の商工会議所やライオンズクラブに掛け合ったところ、保護者が学校行事に参加したり、子供を送り迎えしたりしやすくなるよう、さまざまな側面から配慮してもらえるようになりました。

栃木県のある会社では、積極的にベトナムやブラジルの技能実習生を採用し、日本人と分け隔てなく評価をしています。私はその会社のベトナム事務所を見にいったことがあるのですが、名刺の渡し方やお辞儀の仕方、そして日本語の使い方までもが、日本人より丁寧なことに驚きました。

そういう会社が将来的に増えていってほしいと思います。

――多文化共生社会に向けて、これからの教師には、何が求められているのでしょうか。
多文化共生に向けて、教師が変わらなければならないこととは

「国際理解とは何か、多文化共生とは何か」と聞くと、多くの人が国際理解は「お互いの国の良さを認め合うこと」、多文化共生は「その人と一緒に生活するためにどうしたらよいか考えること」などと答えます。つまり、多くの日本人は「国籍が違う者同士のつながり方」と捉えているのです。しかし、私は決してそうではないと思います。

私は宮城県で水産加工をなりわいにしている家庭で育ったので、魚料理がたくさん食卓に並び、漬物にしょうゆを掛けて食べるような食生活を送っていました。関東出身の妻の料理にも、最初のうちはしょうゆを掛けていました。しかし、次第に妻が東北の料理を調べて味付けを変えてくれるようになり、私自身も関東の味付けに慣れていきました。

このように国籍は関係なく、身近な人との文化の違いに対して、どうやって距離を縮め、一緒に仲良く生活していくのかというのが、多文化共生の本質なのです。日本語が話せない外国人と、どうやったら仲良く接することができるか。そう考えれば、教師が支援できることはたくさんあると思います。

50年後、100年後の日本社会を変えていけるのは、私たちではありません。今の子供たち、さらにはその次の世代の子供たちであり、教師は遠い未来を見据えて、子供たちを教育していく必要があります。違いを排除するのではなく、少数の意見にもしっかり耳を傾けて、お互いの良い部分を引き出しながら、クラスをつくっていってほしいと思います。

(藤井孝良)