「脱ブラック学校」 カラフルな教育が子供を変える(上)

画一的な「ブラック教育」から「カラフルな教育」へ――。「子供を主語にした学び」を実践し、地域や教職員と共に、多様性のある学びの場をつくり続けてきた木村泰子氏(大阪市立大空小学校初代校長)と、「サーバントリーダーシップ」の手法で、子供も教職員も元気でカラフルな学校をつくってきた住田昌治氏(横浜市立日枝小学校校長)が対談。多様でカラフルな空気を学校につくるには、どうすればよいのか。第1回は、今の学校が画一的である原因と、そこから脱却するための方法について語ってもらった。全3回。(司会・教育新聞編集部長 小木曽浩介)


どこを見て仕事をしているか
――学校がブラック企業に例えられるなど、教育現場は非常に危うい状況にあります。原因はどこにあるのでしょう。

木村 私は大阪市の小学校教員を45年間務めました。大空小学校での9年間の校長時代を含め、45年間、現場だけ、大阪市だけしか知りませんでした。

それが、大空小を退任してからこの3年間で、47全ての都道府県に行かせていただきました。いろいろな学校で授業させていただいたり、先生たちと学ばせていただいたり、保護者の方たちから話を聞かせていただいたり、学校に行っていない子供たちから「学校って何のためにあるの?」と問われたりしました。

そうした活動を通じ、多くの学校が、大空小では全く困っていなかったようなことに困っていることを知り、とても驚いています。

なぜ、これだけ現場が困っているのか。

「教員は見える学力にがんじがらめになっている」と木村氏

原因の一つに、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)があると思います。その結果で子供にも学校にも格差が付けられ、順番がつけられています。「見える学力」だけが学びではないのに、先生も子供も「見える点数」で評価されている現状があります。つまり「見える学力」にがんじがらめになっている。

もう一つ、気がかりなのは、先生たち一人一人に「自分の目的」がないように感じる点です。「学校って何のためにあるの?」「何のために働いているの?」といった本質的な問いをどこかに忘れて流されるほど、日々の仕事に追われている状況なのではないでしょうか。

今の学校には「なぜ、そんな無駄な仕事をするの?」といったことがたくさんある。そうした状況を改善しないまま「子供と向き合う時間がありません」と言うのは、何か間違っていると思うんです。

全国の学校を回る中、うまく立ち行かない学級経営に1人で対峙(たいじ)している先生方をたくさん見てきて、どうにかそれら「無駄な仕事」を断捨離できないものかと考えています。

住田 木村先生がおっしゃるように、学校には「どうでもいいこと」がたくさんあります。でも、なんとなく続けてしまっていて、結果的にそれが自分たちの首を絞めている。

そうした現状を変えていくには、教職員一人一人が、どこを見て仕事をしているのかを問い直すことが必要だと思います。私は職員室で教職員に、この問いをよく投げ掛けるようにしています。全国学力テストもしかり、自分は間違った方向を向いて仕事をしていないか、常に問い直すことが必要ではないでしょうか。

カラフルとは
――教育における「カラフル」とは、どのような意味なのですか。

住田 今の世の中、物事を白か黒かで判断したり、決めつけてしまったりすることが多いと感じませんか。それが学校を困らせたり、教育を疲弊させたりしている原因の一つだと思います。物事を全て「正しいか」「間違っているか」で捉えてしまっているのです。

世の中には多様な色があります。学校の中にも、いろいろな色を持った子供たちがいて、自分の色を出しているわけです。つまり、一人一人の子供がその子らしさを発揮する、それがカラフルということです。

また、カラフルには、「人によってそれぞれ色がある」という意味もありますが、「1人の中にもいろんな色がある」という意味もあります。それぞれの子供の中にもさまざまな色があり、才能があるわけです。

多様でカラフルな教育とは何か

だから、大人は子供の一面だけを見て「こういう子だ」と決めつけるのではなく、多面的に見ていかなくてはいけません。

今、私たち教員は、日々の忙しさに追われて、子供をしっかり見るゆとりを失っているのではないでしょうか。子供と一緒に遊んだり学んだりすることで、いろんな色を見つけながら関わっていく。それが教員本来の仕事だし、喜びを感じることだと思うんです。

木村 これまで教員は、「子供を理解できて当たり前」だとか、「子供を理解する力をつけなさい」といったことを研修などで散々言われてきました。

でも、親でもない一人の人間が、目の前の子供のことを360度理解することなど可能でしょうか。いろんな顔、いろんな色を持っている一人の子供を、一教員が理解できるはずなどないんです。

逆に、「子供のことは絶対に理解できない」という前提に立つからこそ、子供のことを理解しようと思うようになる。一番怖いのは、子供のことを理解したつもりになることだと私は思っています。

多様化した今の時代に生まれてきた子供たちは、20~30年前の子供たちとは大きく違います。その意味でも、学校は今までの当たり前の価値観を断捨離していかなくてはいけません。

今までの当たり前を断捨離する
――木村先生が多様な学びのために断捨離してきた、「今までの当たり前の価値観」とは。

木村 例えば、学級担任制です。

大空小では「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」を理念に掲げてきました。その理念の下、13年前、大空小の開校時に教職員間で最初に話し合ったのは、「学級担任1人でクラスの子供の命を守れるのか」ということでした。

誰一人、「できる」とは言いませんでした。そこで、これまで当たり前とされてきた学級担任制を全員納得の上で断捨離し、担当制にしました。

担当制とはどういうことかというと、例えば学校に30人の教職員がいたとしたら、子供は困ったとき、自分に必要な人を30人の教職員から選べるということです。

また、「おはよう」から「さようなら」まで、学級担任1人の授業だけで子供が1日の学びを終えることに、疑問を持っていました。小学生は1日に5~6時間の授業を受けますが、担当制なら複数の先生の授業を受けることができ、多様な価値観に触れることができます。

「先生の子供は何人ですか?」と聞かれたら、多くの教員は担任する学級の児童生徒数を答えるでしょう。でも大空小の教職員は、全員が全校の児童数を答えていました。

住田 10年後、20年後、子供たちが幸せに生きていくためにどうすればよいのかと考えたとき、これまで通りの教育ではいけないだろうと木村先生のお話を聞きながら感じました。

今までの学校は、みんなと同じようにしていくことが正しいとされてきました。そんな画一的な空気の中で、いじめや不登校の問題など、子供たちが苦しんできたわけです。命にも関わる問題が多々あるにもかかわらず、そういった画一的な考え方が一向に変わっていこうとしない。

住田校長は「学校には何のためにやっているのかわからないことが多々ある」と指摘

板書にしても、「課題を青で囲いましょう」「まとめは赤で書きましょう」と、全ての教員が同じ書き方をするように指導される。そうやって画一化することで、教員は教えやすくなり、子供たちは学びやすくなるというのですが、果たしてそうでしょうか。本当に、子供のことを考えてやっていることなのでしょうか。

このように「何のためにやっているのか」が分からないようなことが、いまだに学校現場では多々行われているわけです。

教員が、自分が学んできたように教えていたのでは、教育は変わりません。未来を予測し、そのために何が必要かを見据えながら、自らが行うべき教育を考えていかないと、苦しむ子供たちがさらに増えていくのではないかと感じています。


【プロフィール】

木村泰子(きむら・やすこ) 大きな反響を呼んだドキュメンタリー映画「みんなの学校」(2014年公開)で知られる大阪市立大空小学校の初代校長。同校では「すべての子供の学習権を保障する」という理念の下、教職員や地域の人たちと共に、障害の有無にかかわらず全ての子供がいつも一緒に学んでいる。退職後は、全国で講演活動などを行う。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」をつくるために』(ともに小学館)など。

住田昌治(すみた・まさはる) 2017年度まで横浜市立永田台小学校校長を務め、18年度より同市立日枝小学校校長。2015年度に「もみじアプローチ」の実践でESD大賞小学校賞を受賞。学校組織マネジメントやサーバントリーダーシップ、働き方改革の研修講師や講演、記事執筆等を行い、元気な学校づくりで注目されている。ユネスコアジア文化センター事業推進委員、未来への風プロジェクトメンバーほか。著書に「カラフルな学校づくり」(学文社)。