映像は教育の「てこ」 教本として百年後に手渡す

NPO法人文化遺産保存のための映像記録協会代表理事 河西裕

保存会メンバー制作のDVD。5方向からの映像が見られ、まさに教本となっている
保存会メンバー制作のDVD。5方向からの映像が見られ、まさに教本となっている

小学校入学式の思い出といえば、大雪の日、暖房ゼロの大講堂で震えたこと、そしておじいさんが黒い布をかぶり、「こっち見て」の途端の強烈な閃光で、数え年七つの男の子は、その衝撃で寒さ以上に震えてしまったこと。以後しばらくは、マグネシウムを焚いての写真撮影が非常に怖かった。なんてことは、今やあり得ない。

〝電話〟で撮って〝電話〟で送り、動画もその時代である。自らのNPOの価値をのっけから否定するような書き出しだが、誰もが手軽に映像を扱える時代となってしまった。

一応、当NPOはプロ集団である。プロとして峻別したいのだが、映像は、やはり見てもらってナンボという受け身の世界だ。そこで、映像を天秤棒というか、てこにして、啓発という大荷物を動かしてみようと考え、文化遺産の研究者、ジャーナリスト、そして映像制作者たちで集まったのがこのNPOの成り立ちである。映像を造って楽しんでいるのではなく、学際的に映像を「てこ」に、この天秤棒が目に入らぬか! と「見せる」だけでなく、「役立てたい」のである。

いま取り組んでいるのが、映像教本作りである。しかも百年後に向けた教本である。群馬県安中市の咲前神社に200年以上伝わる「太々だいだい神楽」を、関係する私たち全てが過去の人となっても、この映像さえあれば、同じ神楽を舞い、演奏できる。記録ではなく、伝承のための映像教本をつくろうというプロジェクトである。どのようなものを成果とするかは、市の無形文化遺産に指定されているので、お調べいただくとして、ここで書きたいのは、映像をてこにするとは、どういうことかである。

そもそも、なぜ伝承が途絶える危険があるのか。それは、人々の関心が低下してしまうからに他ならない。ならば関心喚起に映像を使わない手はないが、上映会などという生ぬるいものでは意味がない。撮影そのものから利用するのである。

神楽殿は幹線道路から外れた、こぢんまりとした神社の境内にあり、二間四方と謙虚な広さである。そこにやぐらを建て、プロ用のカメラを5台も持ち込んでの大撮影。何ごとかと地元の人目を引くのも、重要な啓発である。だからか、新聞社が来てくれた。何事も騒ぐのが肝要である。「わしらの神社も棄てたもんではないようだし、ここの神楽は一体何だ?!」でよく、価値に気付いていないのは意外に地元である。お立ち会いの皆さま、ここが大きなポイントなのである。

さてこの後は、神社参集殿で保存会メンバーとの映像編集を一般公開し、これも新聞に載り、見学者も現れた。これで完成かと思いきや、ダイジェスト版を造ってほしいとのお願いに、予算はいただいてない。従って、ご自分たちで作ったらとアドバイス。盛り上がりはまず、保存会内部から起こり、地元方言そのままにナレーションを読むは、神楽の曲をテーマソングにアレンジするはで、大騒ぎのうちに23分の作品が完成した。スタッフは皆、保存会会員である。これが効を奏したのかは分からないが、「伝承二百年記念式典」には、市長、教育長、県の方々などの列席を見、その席で作品が披露された。保存会映像部会のメンバーにとっては栄えあるひとときであっただろう。

作品はこの後、学校の授業で使われ、市内の図書館だけでなく、県の、さらに国会図書館にまで寄贈するという。家族が支え、地域が支え、夜まで頑張ったかいが、生涯最初で最後であるかもしれない宝を生んだことになる。生まれた宝を見て、おれたちの神楽はこういうものだったのかと、あらためて分かったともいう。これも映像効果。明日からまた稽古に励むであろうし、宝は見せびらかしたいものでもある。忙しくなるねえ。自慢話に華を咲かせる地域の上映会が、あちこちで開かれることにもなるだろう。

ちなみに、4月1日と決まっての奉納。どんな神楽か、ぜひ現地でご覧を。お運びいただければ、これも映像がてことして働いた証。そのにぎわいに、またまた新聞社が、ひょっとしてキー局が生中継……。まさに、映像サマ、様である。

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