(学校図書館に寄せる思い)ひかりかがやく場へ

(公財)文字・活字文化推進機構理事長 肥田美代子

 

学校図書館におもいを馳せるとき、わたしはいつも「もっとひかりを」「もっとかがやきを」と叫びたい衝動にかられる。25年前、1991年の春、わたしは大阪近郊や東京都下の学校図書館を訪ね歩いていた。どの学校も快く迎えてくれたが、どの図書館も申し合わせたように暗かった。

「図書館に入るのは初めてですよ」と、にこやかな笑顔で開館してくれたのは、赴任2年目の校長だった。クモの巣がはり、かび臭く、図書はほこりをかぶっていた。学校図書館について子どもたちは「いちばん汚く、いちばん怖いところ」というイメージを語った。

そうした実態調査を参考に、参議院文教科学委員会で学校図書館問題を繰り返し質問した。新人国会議員のわたしの質問で事態が動くとは楽観していなかったが、文部省(当時)は92年、公立の小・中学校・高校を対象に「学校図書館の現状に関する調査」を実施した。

調査結果は、自治体行政に冷遇される学校図書館の実情に照明をあてるものとなった。しかし、それが「子どもの冷遇」でもあることに気付く人は少なかった。

この調査は、学校図書館改革の導火線となった。本もない、人もいない、開館もしていない。開館しても昼休みと放課後だけ、という現実を文部省も黙殺できなくなった。93年には学校図書館図書を1・5倍にふやす「学校図書館図書標準」を設定。それを達成するために「学校図書館図書整備新5か年計画」を策定した。これは、文部省の英断であったとわたしはおもう。

衆議院議員に席が移ってからも、学校教育と学校図書館は切り離せないという考え方を貫いた。一部の女性議員からは、「子ども、子どもとうるさいわね」とか、「読書や学校図書館問題に取り組んでも票にならないわよ」などと批判され、忠告もうけた。

でも、わたしはやめなかった。わたしの胸には、子どもたちのあの言葉、「いちばん汚く、いちばん怖いところ」がきちんと納まっていた。この子たちに罪はない。票になるとか、ならないとかの目先の利益ではないのだ。だいじなのは、学校図書館の図書や共通教材を整え、子どもたちが使いたくなる学校図書館をつくることであった。それがわたしの政治活動の肝だった。

子ども国会の開催、国立国際子ども図書館の設立、「子ども読書年に関する決議」の採択、子どもの読書活動推進法の制定、司書教諭の配置義務化、子どもゆめ基金の創設、文字・活字文化振興法の制定など、わたしの提案は、子どもの未来を考える議員連盟、活字文化議員連盟の強力なバックアップのもとで次々と実現していった。わたしは05年の冬、政界を引退したが、10年の国民読書年や14年の学校司書の法制化は、民間人と議員連盟との共同行動なしには実現しなかったとおもう。

図書館改革は、人材育成を含めて、まだまだ道半ばにある。学校図書館の価値とそれを活用した教育の重要性について、教職員や教育行政の人々、地方議会の理解の度合いが深まっているとはおもえないからだ。それでもよく眺めると、ある町・ある市では、「ひかりかがやく学校図書館」が出現しつつある。

25年前の夢を、わたしはまだ放棄していない。

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