(学校図書館に寄せる思い)人の居場所として

建築家・日本工業大学教授 小川次郎

 
根が天邪鬼のせいか、自分の専門上「読まなければならない」とされる本をなかなか読む気になれない。ましてや決められた期限に読むことなど想像もできない。歳を重ねるにつれ、この悪習に深く染まってきたような気がする。

昔から図書館に居ると何か落ち着かない。高校生の頃だろうか、人並みに図書館で勉強に励んでみたこともあるが、これも文字通り形だけに終わった。
勉強しよう、しなければと焦るほど、無関係な本へと手が勝手に伸びる。勉強にならないのが明らかになったので、以来、図書館へ足を運ぶことも少なくなった。

今では、期限や場所、テーマなど何かに縛られるのではなく、勝手気ままに読み進める読書が好きだ。そんな訳で、何時の頃からか図書館は私の生活から縁遠い存在になってしまった。

図書館を上手く利用できないことに微かに挫折感を抱きつつ、それだけではない、何か割り切れないものも心に残った。

そんなある時、図書館を設計する機会が巡ってきた。蔵書数20万冊に及ぶ、それなりに大きな大学図書館である。これを私自身に対する戒めと見なして、「自分が本当に居てみたい図書館とはどのようなものか」を真面目に考えてみることにした。

自分の悪習を棚に上げて言えば、図書館に馴染めなくなった理由のひとつに、空間の退屈さがあるように思える。昭和40、50年代に子ども時代を過ごした方で、面白い図書館に出会った経験を持つ人がどれ位いるだろう。

図書館といえば、延々と書架の立ち並ぶ単調な空間がすぐに思い浮かぶ。2階建、3階建のものでも、単に垂直方向にこうした空間が積み上げられた印象をもってしまう。高度経済成長期に盛んに建てられ、普及していった図書館の多くは、こうしたステレオタイプ化された空間によるものだったと思う。

それは「人が居たくなること」や「本を読みたくなること」よりも、「本を探すこと」「本を収蔵し整理すること」が優先された空間、平たく言えば巨大な倉庫のような空間だったのではないか。

私がかつて図書館に感じた気まずさ、居づらさは、もしかしたらこのことに根差していたのかもしれない……。

自分の設計する図書館では、こんな思いをさせたくない。訪れる一人ひとりが、自分好みの居場所を見つけられ、長居したくなる、そんな図書館にしようと考えた。

そこで、天井の高い場所/低い場所、広い場所/狭い場所、明るくてにぎやかな場所/暗くて静かな場所など、いろいろな場所をあえて設えることにした。

自分が設計した建物を竣工後訪れることほど気まずいことはないが、学生が本を片手にうとうとまどろむ光景を目にすると、図書館に馴染めない自分に辟易した経験も無駄ではなかったな、と少し気の休まる思いがする。

私のような、図書館を上手く使えない子どもが一人でも減ることを願いつつ。そして本を読むことの楽しさ、その幸福感に包まれる人が一人でも増えることを願いつつ。

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