(学校図書館に寄せる思い)本への愛ライブラリアン

白鴎大学教育学部長・前総合図書館長 仁平義明

 

中学生のとき、学校の図書室に入り浸りだった。ライブラリアン、つまり司書の先生とは、ずいぶん親しくなった。彼女はこう言った。

「読みたい本があったら言ってね。買うから」

司書カウンターは、入って左側。思い出そうとすると、入り口からのイメージではなくて、司書カウンターを右手にして、入り口が正面に見える。テーブルに座って本を読んでいたときの光景だ。

ああ。恩知らずにも、司書の先生の名前が思い出せない。

高校の図書館の司書は「半井さん」。男子高校だったので、彼女は生徒たちの憧れだった。大学生のときの司書で思い出すのは「及川さん」。電子データベースが存在しない時代だったので、文献探しを手伝っていただいたし、珈琲もごちそうになった。

長く勤めた大学を定年になり、白鴎大学に来て、昨年度は総合図書館長を務めた。図書館長は「チーフ・ライブラリアン」だと知った。

昨年9月10日。関東・東北豪雨で大学の大行寺キャンパスは身長の深さまで浸水。図書館は地階の書庫が全滅。1階の書架は3段目まで水に浸かった。もと大学のライブラリアンで他の部局に移動していた安部さんは、この話になると目を真っ赤にした。ライブラリアンはいつまでも本への愛が深いのだ。

しかし、私の本の好みを誘導したライブラリアンは、母親だったのかもしれない。

小学生のころ、毎月1度「田村書店」のおじさんが、自転車の荷台に大きな茶色の配達箱をつけて本を届けてくれた。母親の選書だった。小学生にしてはかなり背伸びをしながら読む本は、楽しみだった。

ヘイエルダールの『コン・ティキ号冒険記』もあった。筏の木材が長い間海水に浸かって腐食しブスブスになっていくという、本筋とは関係ない部分を60年近く経っても思い出す。

題名は忘れたが、日本文化の歴史の本があった。中学生になっても、私の日本史は学校で教わる政治や権力者が中心の歴史ではなく、日本の文化の流れの歴史だった。推古天皇という名前を覚えたのも「玉虫厨子」のところでだったし、厨子の側面には「捨身飼虎」の絵が描かれていて、それが釈迦の前身のストーリーで仏教の基本思想であることも覚えた。

母は今は99歳。ぼけてしまっているのだが、たまに頭の焦点が合うことがある。2年前、母を訪ね、帰るとき、「もう行くのかい」と言う。「明日は大学の授業があって準備をしなければならないから」と答えると、「よしあき、古い授業なんかやるんじゃないよ」と命令する。母の遺言みたいなものだから、同じ講義でも新しい内容を必ず入れなければならなくなった。忙しいときには、つらい。

「古い授業」をしないために、最新の文献を使って講義の準備をするのに、家でも夜でもアクセスできる図書館の電子ジャーナルは欠かせない。

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