16歳の語り部 大人たちが見過ごしてきた子どもの声

ポプラ社/1300円
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「僕の目を見て、僕に向かって手を伸ばし、おじさんは津波に流されていった」「親友が亡くなった。実感がなかった」「大人は、震災の話をしてはいけないって言った」「バケツリレーくらい、小学校高学年ならできるのに。大人たちは、そこにある『がれき』や『遺体』を子どもに見せたくなかったのかな」「大人たちが配給に群がった。物資を取り合った。子どもに回ってこないときもあった」「高学年くらいの子たちは当時、大人には自分の気持ちを吐き出せなかった気がする。子どもだけど子どもじゃない。親の苦労だって察する。大人には心配をかけたくない」「同じ学校内でも、『被災組』とそれ以外がいた」「大人にお願い。不安定になった子どもを包んで、ただ見守ってほしい」「それぞれの意識に、どれだけ『災害』があったか。それが助かるか助からないかの境目」「これから来るかもしれない津波の心配をする人たちに、私がいろいろな経験を伝えれば、何かの助けになるかも」「同じ地区で、同じ年齢で被災したのに、みんな違う経験や感情を味わったと知った」「僕たちが、あの日、あのとき、なにが起こったのかを理解できた最後の世代。語り部最後の世代」「同世代に伝えたい。1日ひとつ、思い出をつくってほしい」――。

2011年3月11日に、宮城県東松島市で被災した、当時小学校5年生の3人。やがて彼らは、それぞれの「震災」を語り始めた。ここには、大人たちが見過ごしてきた子どもたちの声がつまっている。3人は今、高校1年生。時間は間違いなく動いている。

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