ハンセン病から人権考える 東映㈱が完成披露試写会

内田教授(右)と平沢氏(中央)が啓発の重要性を語った
内田教授(右)と平沢氏(中央)が啓発の重要性を語った

東映(株)は3月23日、人権アーカイブ・シリーズ2作品の完成披露試写会を、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で開催した。披露したのは、人権教育・啓発担当者向けの「ハンセン病問題~過去からの証言、未来への提言~」(56分)と、一般向けの「家族で考えるハンセン病」(20分)。関係者の証言や解説を中心に、ハンセン病をめぐる歴史的経緯、当時の社会情勢、問題の本質が描かれた。

2作品は、法務省の委託による人権啓発教材。同省人権擁護局と(公財)人権教育啓発推進センターが企画し、同社が製作した。

ハンセン病は「らい菌」感染で起こる。手足などの末梢神経がまひしたり、皮膚にさまざまな病的な変化が生じたりする。「この病気を恥じる必要はない。国から恥だと思わされていただけなのだ」――と映像の中で、元患者の女性は語った。

患者の強制収容が始まったのは、明治時代後期。市町村や療養所の職員、医師らが、警察官を伴って患者のもとを訪れ、収容した。その際、家を消毒するなどの物々しい光景を目にした国民は、ハンセン病を恐ろしい病気だと認識するようになった。しかし、「らい菌」は感染力がたいへん弱く、療養所で治療にあたった医療関係者ですら、患者から感染した例はない。

療養所では、本名を名乗るのを許されなかった。所内での結婚は認められたが、子どもを産むのは禁じられ、断種させられたり、堕胎させられたりするケースが多々あった。病気が治っても療養所から出られず、死んでも故郷の墓には埋葬してもらえない。そのため、敷地内に納骨堂がある。

「らい予防法」が廃止され、患者隔離政策に終止符が打たれたのは平成8年。その後、保障をめぐる裁判を経て、国のハンセン病に関する政策は間違っていたのが明らかになった。しかし、強制隔離期間があまりにも長かったため、隔離政策が終わった後も、本名を名乗り、社会に出ていこうとする人は少なかった。

試写会では、監修者の内田博文神戸学院大学教授とハンセン病回復者の平沢保治氏による対談も行われた。

本来は病気と人間とを分けて考えなければいけなかったが、そうしてこなかった歴史がある。内田教授は「医学の問題にとどまらず、人権の問題でもある」と述べた。また啓発には次世代の参加が大事だと強調。「自分の家族の問題、自分が生きる社会の問題」と、当事者意識をもつよう促した。

平沢氏は「『負の遺産』を『富の遺産』へ」と掲げ、現状については「子どもたちが良き啓発者となって、各家庭に広がっている」と語った。さらに、「『らい予防法』が廃止されて20年。長い時間をかけて生まれた問題が、そう簡単に解決するはずがない」とし、今後も努力が必要であるとした。

試写会で披露された人権啓発教材は、人権ライブラリーで貸し出している。YouTubeの「法務省チャンネル」と「人権チャンネル」からも視聴できる。

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