【座談会】命を守る教育とESD

東日本大震災から5年半以上が経過した。今年、熊本、鳥取で大きな地震が発生し、多くの子供たちが再び生命の危機にさらされた。子供たちが持続可能な未来を生きるためには、自らの命を守る力を身に付けていかなくてはならない。ESDはそこに、どのように関わるのか。

宮城県気仙沼市の教員として東日本大震災を乗り越えてきた経験を持つ東京大学海洋アライアンス機構主幹研究員の及川幸彦氏と、東京都で自校を防災モデル校として率いESD大賞受賞の経験をもつ東京都教職員研修センター教授の税所要章氏に、「命を守る教育とESD—自らの命を守る児童生徒の育成のために」をテーマに対談してもらった。

(進行・齊藤英行(株)教育新聞社代表取締役社長)

深い学びで主体的判断力育つ
東京大学海洋アライアンス機構主幹研究員
及川 幸彦 氏
地域とのつながりを軸に展開
東京都教職員研修センター教授
税所 要章 氏

○大震災を乗り越えて得たもの

——東北大震災から5年以上が経過したが、今年は大きな地震が相次いで発生し、日本全体で危機管理の重要性が高まっている。学校も同様である。まずESDの視点から、大震災を振り返っていただきたい。

及川 この5年は長くも短くもあった。震災直後はこれまでの常識が瓦が解かいし、各学校は大変な状況の中で悪戦苦闘した。教師は子供の命を守り、子供も自分で命を守った。危機管理でいえば、気仙沼では学校管理下で1人も子供の命を失わなかった。教師が状況判断し、少ない情報を分析し、最善の行動を取ったから実現できた。状況はそれぞれ異なり、取り得る行動は多種多様だったが、適切に避難させ、子供の命を守れたのは、日頃から教師がESDの実践などから判断力を身に付けていたからである。また地域の方々が、下校途中だったり、欠席していたりした子供の命を救ってくれた。これも学校と地域がESDを通じて非常に強いつながり、絆を構築していたからだろう。地域のセーフティーネットができていたわけだ。

逃げればよしという意識で防災教育を語る人がいるが、それは災害を知らない人だ。逃げてからが大変。避難所開設や学校再開などに取り組みながら、命をつながなければならない。その中で特筆すべきは子供の姿、特に中学生たちの姿だった。彼らは守られる存在を超えて、地域の人々や下級生などを守る存在として働いた。1校、2校だけでなく、気仙沼のほぼ全ての中学校において、中学生はそのような行動を取っていたという。

避難者にジャージーを貸したり、がれきを片付けたり、配膳を手伝ったり、お年寄りのケアをしたり、お湯を配ったりなど、生徒が自分で考えて主体的に行動していた。こういう行動は一朝一夕にできるものでなく、長年ESDで培ってきた教育の賜物だと思う。

○学校が災害に立ち向かう拠点に

税所 東京では学校が避難所になるのを想定して、各地区に避難所運営協議会のようなものがある。私も参加しているが、町、自治会の人たちは高齢の方が多く、若い人たちはほとんどいない。防災倉庫には発電機や食料などがある。一番大変なのは仮設トイレの組み立てなどで、高齢者にはとても無理なことばかりだ。そこで、中学生の力を借りたいという話が出た。日頃から協議会と生徒が連携を取り、災害時には、生徒たちが水の確保や仮設トイレの開設などで役に立てるようにしておくのが必要だと思った。消防団や区の防災課など地域に声をかけて、取り組んできた。そして東日本大震災が起き、そのような活動が実際に役に立った。

生徒たちは、帰宅困難者を学校に案内するなど、避難所開設に協力できたりした。事前の取り組みが有効に生かされた。教職員は避難者と一夜を明かし、翌朝の食事まで地域と学校が連携して対応できた。その後、東京都大田区長から学校を災害に立ち向かう場所にしたい、学校防災の拠点校を作りたいという話があり、当時の勤務校、大田区立大森第六中学校でそれを受けた。生徒全員分のヘルメットの導入とその収納場所の設置などに取り組み、他校にも波及できる活動ができた。

○ESDこそが地域を復興させる

——及川先生は、震災の経験を生かされた活動を展開している。

及川 ESDにとって、防災・減災は非常に重要なアプローチだと大震災で確認された。ユネスコも三つの柱を生物多様性、気候変動、減災防災にした。災害はある意味、最大にして一番苛烈な「持続不可能性」だといえる。それを乗り越えて、教育を再生し、地域を復興するのは、まさしくESDの歩み、持続可能な社会構築のプロセスそのものだ。そう意識しながら減災防災教育を進める。教育そのものの目的も、もう一度捉え直さなければならない。

震災の前と後で、ESDに対する私の考え方もずいぶん変わった。地域の素晴らしさとか、世界遺産を教材にして地域に誇りや愛着を持たせるのも大事だが、震災後は地域の持続可能性をどう実現するか、そのための教育のあり方、子供はどう参画・貢献できるかという視点にシフトした。これは東北の話だけではない。首都直下型地震や南海トラフの予想があり、東北だけの経験で納めておく話ではないと思う。ローカルでやるべきことと、グローバルにやるべきことがある。

ローカルでは、防災減災をきちんとした教育にしたい。避難訓練中心の形骸的で画一的な防災から、アクティブ・ラーニング的な、探究的で問題解決的で子供たちが学び、主体的に判断行動できる、多様な災害に対しても、自分で生き延びる術を獲得できる防災教育に変えていかなければならない。そのためにはカリキュラムの改善や、防災体制を変え、ネットワークを変えていかなければならない。

カリキュラムに関しては、私が復興に関わったとき、教委で教師たちを教育研究員として、ESDの考え方をベースにした防災減災教育の改革を研究させた。小・中学生が体系的に深い学びができるようにと防災学習シートを作成し、配布した。教科横断的な作りにするとともに、英語に訳して海外にも啓発した。

ユネスコの減災教育プログラムで3日間の合宿を行い、防災の考え方の理論と、プログラム作りのメソッドを学ばせ、実際の授業も見せている。防災の取り組みの普及とともに、ESDの概念や魂が、全国に伝わっていっている。子供たちもかなり育ってきている。明確なミッションを持ち、そこに肯定感、貢献感が芽生える。これからのESDは、子供たちの能力形成をエビデンスで見せていかなければならない。

○地域のために何をするか考える

税所 修学旅行では岩手県花巻市に行き農作業を体験していたのだが、震災時、東北への修学旅行をやめてしまった。放射線の風評被害だ。それでは人とのつながりや関わりを教えてきたESDとは何だったのかとなってしまう。そこで東工大の専門家から保護者に話してもらい、理解を得て、生徒全員が東北への修学旅行に参加できた。震災で苦労した方々から実際に話を聞いて防災への理解を深め、生徒たち自身がこれから地域のために何をやっていくかを考えさせた。いろいろな形で地域、社会、世界について、あらゆる教育を通して学びを深めていくのが大事だ。

及川 ESDのつながりの話が出たが、防災体制でいえば、学校を核とする防災コミュニティという発想が広がり、学校の狭い防災教育の枠を超えた。

またESDの実践で世界と交流していたおかげで、気仙沼市は世界中から支援をいただけた。励まし、物資、金銭だけでなく、つながりを使って、例えば親を失った子供たちをホームステイで海外に出すことができた。過酷な環境から離れて客観視し、将来に向かって頑張ろうというモチベーションにつながっていったようだ。しなやかな、生きていく力を育てるのが重要だと震災で強く感じたが、一自治体や学校だけではできない。周りのサポートがあったから、ユネスコスクールやESDのつながりがあったから、他の自治体ではありえない支えと協力が得られた。

○減災防災教育は多様な応用力を育てる

——「命を守る教育」の取り組みで重要なことは。

税所 区と学校を防災拠点とするシステムを作ったが、校長をチーフにしてはいけない。校長は地域に住んでいないので、非常時に来られないかもしれない。チーフは地域在住者、校長はその手伝いでいい。そして、地域と子供が一体となって動けるシステム作りが重要だ。消防団、自治会、PTAなどが一体になり、ESDのつながりが深まって、防災を核とした幅広い活動へと広がっていく。全てが、つながりと関わりであり、それがESDの素晴らしさである。ESDを通して、多種多様な学びがあることを知ってほしい。

及川 教育はその場限りの話ではなく、子供たちの未来への投資。それがESD的な視点だと思う。災害が少ない地域でも、子供に対する教育として重要で必要だ。さまざまな応用する能力につながっていく。防災教育で何を学んだかという質問に対し、避難方法などだけではなく、「コミュニケーション能力」「自分で判断して行動する」「地域と協働して役割を果たすこと」という回答が出る。それがESDで培われる能力であり、成果だ。そう考えて取り組んでもらいたい。