50年後の社会に向けたESDによる人材育成

超少子高齢社会、人口急減期、AIの急速な発展など急激な変化を遂げる社会を生き抜く子供をどのように育て、どのような資質・能力を育てるか、ESDの視点から識者に論じてもらった。

仲間とともに切り開く力を
中国学園大学副学長 

今、ちまたで語られている日本社会の未来は「超少子高齢社会」「人口急減」「地域社会の崩壊」「AIの急速な発展による失業者の増大」など、子供・若者の不安をあおるものばかりである。50年後の社会を生きようとする子供たちにこのような未来予測を押し付け、「さあ、生き残りをかけて競争に勝ち残れる資質・能力を付けなさい」と呼び掛けても、学びに向かう力を育むことはできないであろう。

未来は与えられるものではなく、つくり出すものである。子供たちには「自分たちの力で自分たちの未来を変えることができる」という態度・価値観を育むことが大切ではないだろうか。

そのために学校教育では、自分たちの学級・学校集団での生活や、学習についてみんなで話し合って決めて取り組む自治的活動の経験を蓄積することを通じて、社会参画の力を身に付けるとともに、他者や集団のために貢献する喜びを実感して自己効力感・自己有用感を高めることが必要である。

社会について(学習内容としての社会)、社会において(学習の場としての社会)、社会と共に(協働的学習者としての社会)、「社会に開かれた教育課程」で学ぶことを通じて、自分は社会の構成員であり形成者であるという自己認識、多様な人たちが支え合って社会が成立しているという社会認識、社会に貢献しながら自己実現していこうとする将来像や学ぶ目的の形成を図ることも必要だ。

このような教育課程全体を通じた取り組みの中で、子供たちは、平和でウェル・ビーイングに生活できる社会を実現するのは自分たちだという当事者性、そのためには社会の現実を知り、課題解決の術を見つけ、計画を立てる知性、広範な人々共に課題解決に向けて実践できる協同性等を高めていくことができる。

このようなESDを推進していくことが、先行世代の役割であり、責務と考える。その実践開発に、ESD推進のリーダーとなるユネスコスクールが創造的かつ協働的に取り組まれることを期待している。

子供が主役のESDで
東京都多摩市教育委員会教育長 

多摩市がESDに取り組んで、今年で8年目になる。持続可能な開発の基盤となる価値観や行動・取り組みを広げていく教育として、ESDを市の重要施策に掲げてきた。環境、社会、経済が相互に絡み合った問題に対して、問題意識を持ち、取り組むべき課題について知ること、その課題と自分とのつながりを考え理解すること、そしてその問題・課題解決のために人と意見を交わし、共にあるべき方向を確認して、行動することなどを考え、行動できる人材を育成する教育であると捉えてきた。

子供たちが社会の中心として活躍する30年後(2050年)は世界的なエネルギーの枯渇や人口のアンバランス、気候変動や人工知能の台頭などにますます拍車がかかり、地球環境や人類にとっても課題がグローバルに複雑化し、解決が極めて困難な「葛藤と選択」の時代になるとの予測がある。そこで、多摩市は「2050年の大人づくり」をESD推進のキャッチフレーズとして、今できる最大の努力を教育に傾けるとともに、全小・中学校をユネスコスクールに登録した。

先日、市内の小学校で太陽光や風力などの再生エネルギーによる発電に挑戦する6年生のESDの授業が新聞に大きく取り上げられた。蓄えた電気を使いLEDライトで「光のメッセージ」を作製し、市内の野外映画祭のイベントで市民に披露したのである。LEDライトを発光させる電源は、校舎の屋上に置いた小型の太陽パネル、ペットボトル製の小型風力発電機で蓄電したバッテリーを会場に持ち込んだ。素晴らしい学習成果の発表の場となった。

校長は「発電はできたが、生活で利用するにはどうすればいいか。発電機の耐久性などさまざまな課題に悩みながら、再生可能エネルギーの普及について考えるきっかけになれば」と振り返った。

まさに、30年後、50年後の未来を考えるとき、校長の話した「課題設定」「きっかけづくり」はESDの大切な取り組みの一つである。子供が主役のESD、未来に期待が持てる。

父母・祖父母が描いた未来は
大阪府立大学准教授 

世代循環の観点から考えてみたい。今を生きる児童生徒の親が子ども時代だった頃には、いったいどのような未来を描いていただろうか。さらにその親(現在の児童生徒の祖父母)の子供時代に願っていた未来社会はどうだっただろうか。問うべきことは、今、当時の課題が解決され、人と人、人と社会、人と自然との関係において後世に伝えうる価値や社会の仕組み、さらに自然への敬意を深める時代へ到達することができたか、ということである。このように考えると質的・量的な得失があるだろう。同様に、私たちは50年後にどのような「到達社会」を描くべきであろうか。

私事ながら、100年以上も昔、私の曽祖父は日露戦争(1905)への徴兵で二百三高地に赴き、そこで絶望的な突撃を繰り返した。ロシア軍陣地からの銃撃により右腕は吹き飛ばされたが、それが盾となって頭を撃ち抜かれずに済んだという。数センチの差で命が私に引き継がれた。

その後もアジアをはじめ世界で惨禍と殺戮が繰り返されて想像を絶する絶望があった。

振り返って、当時の人たちはどのような未来を願っただろう。一方、戦後は「経済発展」と引き換えに、公害や環境破壊によって多くの人々の健康と命を犠牲にした。ぜひ、あなたも父母・祖父母に当時の課題と描いた未来について聞き取りをしてほしい。

将来、逃れ得ない超少子高齢社会となり、ロボットが自家用車のように一家に1台ある時代になったとき、あなたが未来の子供から同じ問いを受けたとすると、あなたはどのように答えるだろうか。きっと、普遍的な持続可能な社会に通じる価値や人のあるべき姿だと言えるのではないだろうか。

現代、国内的・国際的にみると、私たちは再び過去と同じような時代の文脈に遭遇し、課題や問題の同根性をみることができるように思う。私たちがなすべき次世代に向けた人材育成は、私たち自身の社会への向き合い方、未来の描き方の姿勢そのものであり、上記世代循環における歴史的当事者性を有する生き方を児童生徒に示すことにあるように思う。

「幸せな社会」の実現を目指す
奈良教育大学准教授 

近年の社会の変化は加速度を増し、複雑で予測困難になってきている。この社会の流れは、第二次世界大戦後のブレトンウッド体制に端を発した、「経済成長による豊かな社会の実現」の延長線上にあるといってよい。しかし、資源・エネルギーの枯渇などの環境問題、いつまでたっても解決できない貧困や飢餓、テロや紛争の増加などを考えると、経済成長にあまりに偏ったこの流れを見直し、経済以外に価値を見いだす社会の実現を本気で目指す必要がある。

そこでESDを通して養いたい資質能力として2つ提案したい。一つはコミュニケーション力である。2012年の地球サミットにおいて「世界でもっと貧しい大統領」と呼ばれたホセ・ムヒカ氏は、「私たちは発展するために生まれてきているわけではなく、幸せになるためにこの地球にやってきた」と呼び掛けた。「幸せ」は、時間と空間を超えた普遍的な願いである。人によって「幸せ」の中身はさまざまであるが、孤独でないことは特に重要であろう。他の動物と比べて、個としての人間は非常の弱い存在であるため、本能的に孤立を避ける傾向がある。多くの他者とつながっていたいという強い願いをかなえる上でコミュニケーション力の育成は重要である。

もう一つは自然と共生する態度である。科学技術がいくら進歩しても、われわれは生活の基盤となっている生態系の収容能力の限度内でしか生きていくことができないという事実を踏まえるなら、自然環境を保全し、共生する態度を養うことは重要である。特に食べ物への不安や欠乏感をなくすことは、落ち着いた暮らしに欠かせない。地域の自然環境に即した、略奪的でない農業や水産業、林業などへの理解を深め、担い手を育てることは、地域の自然環境の保全、地産地消による地域経済の活性化や雇用の創出にも効果がある。

人工知能やグローバル化への対応が声高に叫ばれているが、ESDは人間の基本的なニーズを満たす「幸せな社会」の実現をダイレクトに目指す教育でありたい。