活躍する退職校長会 VerⅡ 子ども、教師、地域を支える(6)山形県退職校長会

おらほの自慢―「やまがた教育」の原点を探る

山形県退職校長会の悲願であった「教育の日」は、2012年に県教育委員会により「やまがた教育の日」として制定されました。これを機会にこれまで実施していた教育研修会を「教育の日」にふさわしい企画として「おらほの自慢『やまがた教育』の原点を探る」を考え改編し実施することになりました。

14年5月の総会で石垣克之会長から「教育県山県の基盤は、県独自の歴史的な背景があり、各地に有形無形の教育遺産があり、今でも県民の心に潜在化している。これらの教訓や教育活動を顕在化させ、県民に教育山形の誇りと自信をよみがえらせたい」と、この企画の趣旨が説明されました。

同年11月に山形市で開かれた研修会で、武田良一氏(元山形市立第四中学校長)から基調提案をいただきました。

藩校致道館について学んだ研修会

その中で天童織田藩の藩校「養正館」の学訓「一日の計は鶏鳴にあり、鶏鳴に起きざれば一日空し」「一年の計は陽春にあり、陽春に耕さざれば秋実らず」「一期の計は幼稚にあり、幼稚に学ばざれば老いて悔やむ」が紹介されました。この教訓は、天童織田藩の舘跡にある天童南部小学校の教育にも生かされています。また、天童には、塾生600人に及んだという寺津村の漢学塾や和算塾など農民教育の私塾も存在していたことから、天童市近辺の近世後期の教育活動について言及されました。その地域に開塾し、そこで受け入れられ発展した教育活動は、その土地の風土を肌で感じなければ本旨を探ることは難しいだろうと考え、会場は県内を巡回して開催されることになりました。

そこで第2回研修会は、米沢市に会場を移して米沢支部が企画し開かれました。名君上杉鷹山公でよく知られている米沢市。そこにあった藩校「興譲館」の誕生の逸話と思想について、大貫英一氏(山形県立米沢興譲館高校長)から講話をいただきました。興譲館の命名は儒学者細井平洲先生であること、先生が揮毫(きごう)した学則が校内に展示されていることなどが紹介され、生徒はその学則の意味をよく理解し、暗唱に努め、その思想は生徒の精神的支柱になっているということです。大貫校長の講話の後、相田實支部長から、米沢文教のルーツや米沢有為会、米沢教育会など支部独自の人材育成の軌跡について紹介されました。参加者は「米沢教育」の郷土愛博愛心を育む真摯(しんし)な人材育成に深い感銘を受けていました。

15年度は庄内地方に回って、鶴岡支部の活躍の場となりました。鶴岡の小中学校では藩校致道館で行われていた論語をもとに「論語の日」「論語ウィーク」など論語教育が盛んに行われています。また、鶴岡市の産業の近代化を促進した絹織物産業は、庄内藩による松ヶ岡開墾事業と深い関係にあり、この二つの関係を、富樫恒文氏(庄内藩校致道館統括文化財保護指導員)から「藩校致道館の教育精神と学びの継承」を、山田陽介氏(元山形県立鶴岡中央高校校長)から「松ヶ丘開拓とシルク産業」など鶴岡の教育と文化・精神の潮流をお聞きしました。旧藩士は先進地富岡製糸場と絹産業に学び、致道館教育の精神で開墾に当たり、シルク製品の全行程(蚕種・養蚕・製糸・製織・製錬・染色・裁縫)を同一地区内で行った日本唯一の場所として営まれ発展させていたのです。

16年度は、最上地区に会場を移して「新庄まつりへの市民の思いとその背景」をテーマに研修会が開催されました。

新庄まつりは、飢餓に苦しむ領民を励ますために新庄五代藩主戸澤正諶が始めたもので、260年もの長い間営々と続いています。祭りの期間は最上地域の全小中学校が休業日となり、子供たちの心の中に郷土の誇りや郷土愛を育む活動の一つになっています。

「教育の日」の制定を機に開催された「おらほの自慢」研修会は、回を重ねながら「教育山形」の原点に触れる好機となっています。この研修会をさらに深め発展させ、広く県民に開かれたものにすることがこれからの課題になっています。

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