(鉄筆)本欄の表題でもある……

本欄の表題でもある「鉄筆」やガリ版(謄写版)は、若い教員たちには「死語」に近いものだろうが、鉄筆子にとってそれらで作成した50年も前の新卒教員時代の印刷物は、捨てることのできない大切な思い出の品である。

毎日の宿題だった自作の計算ドリル、クラス文集、いくつかの物語をとじた教材集(教科書教材ではない、いわゆる「投げ込み教材」集)など――。それらを見ると、毎日、放課後、遅くまで、ガリ版に向かっていた自分を思い出す。とりわけ、「投げ込み教材」には思い出が多い。教科書も満足に使えない若造が、自分の指導したい物語をガリ版で作成、印刷し、教材として使うとは、若気の至りとはいえ、今考えただけでも冷や汗が出る。

しかし、昔は大らかだった。投げ込み教材を使いたいと申し出ると、校長は嫌な顔もせず許可し、必ず先輩教員たちと一緒に授業を参観、授業後には極めて厳しく、発問や板書の仕方など授業の基本を指導してくれた。ただ、投げ込み教材作成への意欲と努力は、評価してもらったように思う。

今考えて見ると、手間と時間のかかるガリ版印刷だったが、これを通して、子供たちとのコミュニケーションや、教員としての在り方を追い求めていたのだと思う。その意味では、当時の自分にとってガリ版印刷は必要不可欠な技術であり、教員としての矜恃(きょうじ)でもあった。

今の若い教師に、昔のガリ版印刷に取って代わる必要不可欠な技術、教員の矜恃につながるものは何か、と問えば、どんな答えが返ってくるであろうか。