(円卓)「助けて」を受け止め行動を

NPO法人ユース・ガーディアン代表理事 阿部 泰尚

ある番組で「いじめ放置事件」について意見を求められ、他のコメンテーターは、クラス制度を排除し、海外の教育制度を日本に導入すれば、いじめはなくなると言っていた。 それはいつ実現するのだろうか。今も私の元には、多くの子供から「助けて」の声が届いている。そうした子たちからすれば、いつ実現するか分からぬ話など無価値だ。 他の専門家はいじめ問題に対応するならば、完璧に解決してほしいという調査結果があると言った。それはそうだろうとは思ったが、この専門家は調査をする以前に人間を知らないのだ、と確信した。問題はそこではないのだ。 私はいじめへの対応後、子供からよく手紙をもらう。解消うんぬんよりも私が真剣にいじめ問題と向き合い、彼らに寄り添ったことへの感謝が書かれていることが多い。現実の事件をテーマに、いたずらに議論するのは、無責任だと思う。 たった今、苦しんでいる子供たちの「助けて」に対応するには、現在ある制度の中でどうすればいじめから子供たちを解放できるのかを考え、実践する以外、方法は存在しない。 放置や隠ぺいは絶対にあってはならない。いじめの放置は、加害者への教育の放棄をも意味する。彼らはその後もいじめを常習的にしてしまうだろう。いじめを傍観している者は、誰も助けてはくれないと悟り、火の粉を浴びないための方法を学ぶ。 これこそ、教育の放棄であり、いじめまん延の要因ではないか。 いじめ防止の標語には、「いじめは絶対に許さない」とあることが多い。ところが現実には、放置したり、対応しなかったりする。それでは、ここでの学びはどうなるだろうか。「大人はうそつきだ」となるだろう。 あるいじめの被害者が、記者会見で教育長らが頭を下げているシーンを見て、「誰に謝っているのだろう」と言った。それは、彼女が被害を受けたいじめ事件に関する報道であった。彼女には保身のための儀式にしか見えない。信念と行動が伴わない言葉は、人には伝わらないのだ。 現実問題として現場でいじめに向き合う立場にある教育者には、子供たちの「助けて」を真摯(しんし)に受け止め、速やかに行動してほしい。「いじめ探偵」がいつの日か廃業になるよう祈っている。 (T・I・U・総合探偵社代表)