ESDとカリキュラム・マネジメント(1)日本人の最低賃金から学校教育を考える

NPO法人日本持続発展教育推進フォーラム理事 手島 利夫

テレビで日本人の最低賃金について議論が交わされていた。「欧米と比べて安いから法律を改正して賃上げをしよう」という声と「これ以上高くされたら地方の中小企業に倒産が続出し、国の経済基盤が壊れる」という意見が出ていた。

国民の教育水準という視点から考えると、今の日本人の賃金は案外妥当な線ではないかと思う。欧米に比べて安いとか高いとかいう前に、自分たちの経営や労働の質を考えなくてはならない。

大量生産・大量消費を支えた「昭和」感覚の経営者や労働者では世界経済に太刀打ちできていない、のが低賃金の根本の原因ではないだろうか。早い話、日本の経済やそれを支える教育力は、世界の負け組に入ろうとしているのかもしれない。

創造の時代を目指し、グローバルな世界で通用する日本人を育てなければいけなかった平成の30年間を通じて「学力向上」を競わせ続けてきた愚かさと、それを容認し続けた社会のつけが、世界との賃金格差にも表れているのだと思う。

では、これからも続く厳しい時代を日本人が世界で生き抜いていくには、どんな力が必要なのだろうか。また、現在の日本の経営者や労働者にそのような力がどれだけ備わっているのだろうか。

日本の産業も教育も、その育てた人材も、その多くが時代の最先端から20~30年遅れているように思う。国内でも先端を走る少数者と出遅れている大多数国民との格差も大きく広がっている。

「後進国だったわが国が、文明開化や戦後の復興を経て世界一の工業国にまでなった。それを支えた日本の学校教育は素晴らしい!」というのは正にその通りである。

現状はどうだろうか。過去の栄光にいつまでもすがり付いていてはいけないのだ。

日本の教育で育て続けている「知識・理解に優れ、勤勉で従順な労働者」の価値が、今後も上昇することは無いと思う。知識の量でも理解力でも、命令に対する従順さでも、AIを駆使したロボットに遠く及ばなくなるだろう。

しかし、この期に及んでも教育の舵を切れない指導者や多くの国民は「努力と勤勉が豊かな日本を造った」という一時の成功体験から発想した「学力神話」から抜け出せずにいるのである。

知識基盤社会であるから、基礎基本の重要性は当然のことである。それと併せてどのような資質・能力の開発をするのかを考え、遅ればせながらも国民的な合意の形成と教育改革の断行が求められているのである。

その重要な使命を帯びて学習指導要領が改訂され、「持続可能な(日本)社会」の創り手の育成に取り組もうとしている。そこで示されている「生きる力」とは、激変を続けるグローバル化社会の中で、たくましく生き抜く力である。

その育成に当たっては、各教科等の指導を教科等横断的な視点で組み立てた教育課程の中で、①知識や技能の習得②問題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力の育成③学びに向かう力、人間性などの涵養――を偏りなく実現できるよう、カリキュラム・マネジメントすることが求められているのである。

現在も幅広く行われている知識伝達型で教科等分断・閉鎖型の指導では、思考力・判断力・表現力を備えた問題解決能力を備えた人材は育つはずはない。

教科等での学びを活用し合った問題解決的・探究的な学習過程に向けた指導法の改善も喫緊の課題である。

そんなことも分からずに「ボーッと生きている」だけのあなた! 5歳児にも叱られますよ。

(日本ESD学会副会長)