(円卓)「無言館」の声なき語り

武蔵大学教授 和井田 清司

8月は、戦争の過去を思い起こし、未来への不戦の意思を確かめる月である。

アジア太平洋戦争の敗戦から74年。当時を直接知る人も少なくなった。都市部に集中した空襲体験、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験、被害と加害が錯綜(さくそう)した沖縄戦体験―いずれもその体験者の語りを聞く機会は、時間の経過とともに、少なくなっている。

識者も言うように、「戦争を知るものが引退するか世を去ったときに次の戦争が始まる例が少なくない」(『戦争と平和 ある観察』中井久夫、人文書院)。

この8月、信州・上田市の郊外、小高い丘の上にひっそりと建つ「無言館」を訪れた。戦没画学生の遺作と遺品を展示した美術館である。

作家・窪島誠一郎氏が、洋画家・野見山暁治氏に触発され、協働して全国から収集した戦没画学生の遺作を展示している。

十字に配された会場に、極力、演出を廃したように並べられた遺作を見ていくうちに、不思議な感覚に襲われた。

他の戦争博物館で感じるような、勇ましさや過度の悲惨さ、過剰な教訓の塊を感じないのである。

家族の団らんや恋人の姿、自画像や風景を描いた習作の列。作品・遺品に、氏名・遺影・生年・没年・没地が言葉少なに添えられている。

当然のことだが、ほとんどが20代で、せいぜい30代の前半止まりの青年たち――。

そして、没地が満州・中国・太平洋の島々と沖縄―アジア太平洋の空間に散らばっていた。

例えば、召集の直前まで恋人の裸像をしたため、帰還してその続きを描くことを約した青年。

あるいは、永久の別れの予感に襲われ、世話になった祖母の絵を描き、最後の祖母との時間を塗り込めた作品。固有名詞に彩られた個々の物語が雄弁に語り掛ける。

絵画であれ、スポーツ・音楽・文学その他もろもろであれ、戦争で亡くなった青年たちにはなりたかった自分があり、好きなことを好きなように楽しむ時間と空間を望んでいた。

時代の暴力が、その日常性を乱暴に剥奪したことを、「無言館」の作品群は、静かにしかし強烈に語っていた。

まさに、「平和とは日常茶飯が続くこと」なのだと実感した。