(円卓)教育に「手抜き」は許されぬ

元東京家政学院大学教授 長谷 徹

小学校の教員になりたての頃の話である。先輩から「教員になったお祝いをしよう」と酒食に誘われた。大変貴重な時間を過ごしたのであるが、とりわけ記憶に残ったのが、最後に言われた「教育に手抜きは許されぬ」という言葉であった。

生意気にも「そんなのは当たり前じゃないですか」と答えたのだが、先輩は「今は分からないかもしれないが、そのうち本当の意味が分かるよ」とだけ言われた。

担任する3年生の子供たちと出会い、新任教員としての毎日が始まった。学生時代とは異なる忙しさなどから、いつの間にか先輩の言葉も忘れてしまっていた。1年が過ぎ、そのまま持ち上がり、さらに3年目も同じ子供たちの担任として過ごしていた。

その2学期になったある日の放課後、子供から「先生、最近、私たちと一緒にいないね」と声を掛けられた。「えっ」と思いながらも「何でそんなこと言うの。いつも一緒にいるじゃない」と言うと、「だって、これまでは、休み時間に一緒にドッジボールをしたり、放課後は一緒にゲームをしたりして遊んでくれていたでしょ。この頃はすぐに職員室に行ってしまうんだもの」と訴えられたのである。

このとき、先輩の「教育に手抜きは……」という言葉を思い出したのである。

その年は、公開の研究発表会を控え、紀要の原稿のまとめ、当日の学習指導案の作成など、これまでになく多忙を極めていたのである。また、3年目にもなると、校務分掌でも資料を作成しなければならない立場になっていた。休み時間、放課後はそうした作業に取られていたのである。

子供たちから見ると、いつも自分たちと一緒にいてくれた先生が、最近はいつの間にかいなくなってしまっているのが多いことに違和感を感じていたのであろう。

教員の仕事は、子供たちを教え育てることにある。そんな先生が子供たちの目の前から消えてしまっていたのでは、まさに「手抜き」と言われても仕方なかろう。

最近の職員室を見てみると、机の上にパソコンが並んでいる。教員たちもパソコンに向かわざるを得ない時間が多くなったのは確かであろう。諸々の仕事が多くなり、時間的な余裕が少なくなってきたのかもしれない。

しかし、それでも教員の仕事は「子供ファースト」である、ということを忘れてはならないのである。