(円卓)教材開発に取り組む教師の姿勢

放送大学客員教授 梅澤 実

「主体的・対話的で、深い学び」を目指す学習指導要領全面実施を前に、教材開発における教師の技術について再考する。

教材開発の方法や技術については、これまで多くの研究が蓄積されてきたが、ここでは、一人の教師の言葉を紹介し、その言葉を元に、それが発せられた教師の技術と姿勢を探ってみる。

総合的な学習の教材開発に取り組んだ授業後の飲み会で、一人の教師が、「教材になり得る素材は至るところにある。このビール瓶も教材になる」と語った。この言葉は、彼の授業を支える三つの力に裏付けられたものであった。①もの・ことを捉える目②子供の学びを捉える目③授業をシミュレーションする力――である。

①は、授業で何を指導するかを常に考えているということである。それは、学習指導要領の目標内容を単に授業で再生するのではなく、教科のものの見方・考え方を自身の日常生活の中に具現しようという意識を根底に持つ、「主体的な」生活者としての「目」である。

②の「捉える目」は、子供の発言や表情を含めた行動から、いま子供は何を考えているか、それは何に起因しているかを捉えたいという願いを根底に持つ。それは、①の「目」を、自分の眼前の固有名詞を持つ子供の「目」に重ね合わせようという思いがあった。

③は、①②を踏まえて、教材と教師と固有名詞の子供と「対話」することである。対話は、教師自身の技術をさらに「深める」。先の教師の言葉は、総合的な学習の教材開発を経て、①②③が融合され、自己の技術に確信を深めたことを物語るものであった。この三つは、技術であり、技術を追い求める教師の姿勢でもある。

斎藤喜博は、「教師の技術は大へん人間的なものであり、教師の人間にくっつき、教師の人間から生まれてくるものだ」(『授業の可能性』1976)と言う。

斎藤を師と仰いだ武田常夫は、文学の授業実践を振り返り、「授業をささえるものは、結局、作品に対する教師の愛情」(『心に残る国語の授業』1978)と述べた。

その「愛情」は、子供へ、そして、教師の仕事を豊かなものにする。素材から教材への愛情を見いだす過程は、教師の成長の歩みである。それには、時間的ゆとりと心の自由が保障されねばならない。