(円卓)子供の世界の再考

神田外語大学客員教授 嶋崎 政男

1985年6月に発出された文部省(当時)通知「児童生徒のいじめ問題に関する指導の充実について」の別添には、「友人間の問題の克服も、本来『子どもの世界』に託すべき部分が多い」としながら、「今日の児童生徒間におけるいじめが極めて深刻な状況」にあるため、「『子どもの世界』にあえて手をさしのべ」るとの基本認識が冒頭に記されている。

同じ年、文部省の座談会で「いじめ問題に最初に取り組んだのは昭和52年と発言(『中等教育資料』10号所収)しているので、「子どもの世界」に侵入して40年以上の歳月が流れたことになる。

定義の変更や法の制定など、さまざまな施策が展開され、その成果も多々挙げられるが、最も大きな収穫は「いじめを見逃さない・許さない」という世論の形成であろう。

いじめ認知の「訴え・発見・情報」という3ルートが研ぎ澄まされ、「早期発見、即対応」の体制が整っている学校が大多数を占める。

社会の見方も、「認知件数多=学校対応の評価」へと変化してきた。長年にわたる文部(文科)省の努力が実を結んだ結果と言える。

しかし、一長一短は世のことわり。被害者感情に依拠した「いじめの定義」や、網を打つかのような「いじめの把握」は、時に水浴びを楽しむ稚魚さえも捕えてしまう。

いじめ問題に係る研修会では、全国津々浦々で「被害者意識が強すぎる保護者からの訴えに苦慮している」との声を聞く。「人間関係・行為・心身の苦痛の3要件は満たすのですが」との苦渋の判断を明かす参加者は確実に増えている。「子供同士は仲良くしているが、保護者間の対立が終わらない」との訴えも少なくない。

「子供の提案が否決された」「悪口が聞こえたような気がする」「頑張ってと嫌味を言われた」など、いずれも重大事態として審議の俎上(そじょう)に乗せられた事案のきっかけである。

被害を訴える保護者の中には、加害者とされる子供を恫喝(どうかつ)したり、罵詈(ばり)雑言を浴びたりするケースも散見される。

こうした保護者の子に、周囲の者は近付こうとしなくなってしまう。「子供の最善の利益の保障」から遠く離れた「大人の最悪の利害の相克」。

いま、「子供の世界」を再考・再興する時が来ている。