(円卓)忘れてはいけない

清泉女子大学教職アドバイザー 榊原 博子

現在、私は発達障害のある生徒の特別支援教育に関わっている。だからというわけでもないが、書店で目に止まった、『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮社)を手にして読み始めた。

著者の宮口幸治氏は児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務し、臨床心理士でもある。多くの非行少年たちと接する中で「反省以前の子ども」がたくさんいるという事実に気付く。少年院には、認知力が弱く「ケーキを等分に切る」ことすらできない非行少年が大勢いた。

彼らの認知機能の弱さ、対人スキルの乏しさ、身体的不器用さなどが原因となって、何をやってもうまくいかず問題を起こしてしまう、という事実があったのである。

そこで、そうした困っている少年たちを支援するようになった。

自分自身の教職経験を振り返ってみれば、私にも思い当たることはある。教室で氏の指摘するようなサインを出している生徒は確かに存在した。

そのサインを的確に受け止め、支援できたかと問われれば、残念ながら「否」である。これだけ念を入れて伝えているのに…、しっかり反省できていると思えたのに…、自信が持てるように励ましたけど…、など、私なりに力を尽くしてきた。しかし、それが生徒にとって最善の支援となっていたとは考えにくい。申し訳ない思いでいっぱいである。

氏は「困っている子供」の早期発見と支援が日本の社会にとって大切であり、それを最も効率的にできるのは学校以外になく、そのためにも学校教育の充実を、と期待を寄せている。学校教育の一端を担う者として重く受け止めた。

読んでいる最中にウェブニュースの「教育劣化どこまで―社会に出て『引き算』を習う大人たち」という見出しを見つけた。読むと、大人のための算数・数学教室で現役の社会人が小学校高学年レベルの算数を学んでいる様子を紹介し、学校教育の中で企業の求める「普通の人材になるための基本スキル」を身に付けられていないことを危惧している。

そうだろうか、と感じた。全体が「劣化」しているのではなく、前述の「困っている子供」が学校教育の中で「忘れられた」ため、支援を得られず社会に出てしまった、と考えられないか。発達障害への理解や対策はまだ緒に就いたばかりである。