(円卓)学校が地域に開く活動とは

日本教育情報化振興会会長 赤堀 侃司

孫の運動会に行った。どこにでもある平凡な光景であるが、小学生が玉入れをしたり、太鼓をたたいたり、騎馬戦をしたり、ゴールに向かって走っている光景は、どこか郷愁を呼ぶ。それは、遠く過ぎ去った自分たちの姿を思い出すからかもしれない。

保護者の席は、運動場を囲むように指定されているが、自分の子供の出番になると、アナウンスがあって、親たちは最前列に移動して、懸命に声援を送り、カメラを向ける。勝っても負けても、これ以上はないようなうれしそうな表情をする。

先に書いたように、どこでも見られる光景である。しかし、子供たちの姿は、見る人に声援を送らざるを得ないような気持ちを起こし、体を乗り出してくぎ付けにさせるような魅力があり、胸が熱くなるような感動を呼ぶ。

日本の運動会は、単なる競技ではなく、親や祖父母や地域の全ての人に、満ち足りた心を呼び起こす贈り物のような気がする。それは、現状を肯定する気持ちを引き起こすからではないか。この運動会に参加して良かった、この学校に来て良かった、この地域に住んで良かった、と思うのである。

昨年、スウェーデンの中等教育学校を訪問したとき、教室の後ろの壁に、well-beingと書いた紙が貼ってあった。世界保健機関(WHO)は、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)」のことだという。先の運動会は、文字通りwell-beingであった。

スウェーデンの先生は、学校の役割は、子供たちに満たされた状態や環境を提供することだ、と語った。その通りである。しかし、さらに言えば、満たされた状態を提供してくれているのは、むしろ子供たちではないか、と思う。大人や教師や親は、子供たちから明るさをもらい、元気をもらい、生きる力をもらっているのではないか。

社会に開かれた教育課程とは少しニュアンスは異なるが、運動会や学校公開や合唱コンクールなど、学校が地域に開く活動は、地域住民に満たされた気持ちをもたらしてくれる。それは、子供たちから大人への極上の贈り物である。