(鉄筆)先日、何気なく入った古書店で……

先日、何気なく入った古書店で、長年探し求めていた『葛原勾当日記』(小倉豊文校訂)を見つけた。

この日記を書いた葛原勾当(くずはら・こうとう、1812~82)は、3歳のとき、痘瘡(とうそう)で両目を失明したが、音曲の才能に恵まれ、15歳で生田流箏曲の教授となり、箏曲の名人と称された人だが、葛原勾当の名を今に留めるのは箏曲以上に、16歳から亡くなる71歳までの56年間、とりわけ、初期10年間を除く40数年、自ら創案した、「い」「ろ」「は」「月」「日」などの木で作った活字63文字を拾いつつ日記として記録し続けた偉業にある。

日記は、出稽古の記録や折々の出来事、体の好不調などがつづられている。「二十九日(天保九年十一月)雨が降る。また、これ歯を痛む。いかなる因縁にてござるやら。四、五年この方辛き目に会うわいな」。読みながら、180年も前の葛原勾当の姿が目に浮かぶ。

それにしても、目が不自由にかかわらず、そうまでして書き続けたのは、恐らく書くことによって自らを客体化し、生きる証しを確認するためではなかっただろうか。死の2日前まで書き続けた正岡子規の『病状六尺』にしても、戦争体験を見たまま感じたままを記録し続けた『虜人日記』(小松真一著)にしても書き続けることで、生きる証しを確認し苦痛を癒やしてきたのだと思う。

書き続けることで、自己の生き方への反省と思索につながる「日記」は、他のジャンルにはない特有の意義を有する。ぜひとも、各学校段階で、「読む」「書く」両面から「日記」指導の重視と充実を期待したいものである。