(円卓)思考としての対話の充実を

東京学芸大学教授 中村 和弘

私が勤めていた東京学芸大学附属世田谷小学校では、30年ほど前に『今、なぜ「一斉学習」なのか』(東洋館出版社、1987年)という本を出版している。

当時は、個別化・個性化教育の取り組みが盛んな時期であり、その時代の中で、あえて一斉授業の良さを見直し、「一斉」だからこそできることはないかという、授業実践の模索がまとめられている。

改めて本書をひもといたとき、そこに打ち出されている「相互啓発」というキーワードが新鮮に映る。

授業の中で、Aさんの発言がBさんの頭の中の考えに火を付け、Bさんの学びに変容が生まれる。Bさんは、Aさんの発言をどのように受け止め、自分の考え方がどのように変化したかを発言する。Aさんは、Bさんのその発言を聞き、自分の考えの価値を再認識する。ここに、学習を通した相互啓発が生まれる。

さらに、こうしたAさんとBさんのやり取りを周囲のCさんやDさんも聞き、影響を受けたり、そのやりとりに参加したりしていく。こうして相互啓発的な学習の輪は、学級全体に広がっていく。

一斉授業は、どうしても教師による教え込みの授業になりがちである。子供たちも、受け身になってしまう。だから、ペア学習やグループでの話し合いの活動を入れて、対話的な学びを行っていくというのが、近年の授業づくりの主流である。それが、感染症予防の観点から難しくなっている。授業が、一斉の形にならざるを得なくなっている。

けれども、一斉の授業形態の中でも、対話的な学びを生み出すことはできる。ある子の発言をみんなで受け止め、自分の考えと比較したり、新たな考え方ができないかと思考を巡らせたりする。

黒板に整理されたこれまでの学習の過程を見直したり、自分の考えをあれこれ工夫しながらノートに書き表したりしようとする。活動しての対話はしていなくても、頭の中の思考としての対話はより充実したものになっていく。

一斉授業の中で、相互啓発的な学びを生み出し、思考としての対話を充実させていくためには、そのための学習指導の技術が必要である。それらを教育実践の歴史や先輩の教師に学びながら、今の状況に対応した授業の工夫を考えていきたい。