(鉄筆)長い間開けたことのない段ボール……

長い間開けたことのない段ボールの中から初任時代の週案簿などとともに、教育雑誌などに書いた手書き原稿の下書きがいくつか出てきた。出版社の原稿用紙に書いた下書きは、書き直しや挿入などがあって読みにくいが、限られた升目を必死に埋めようとする書きぶりに、若かりし頃の真剣さが感じられ、しばし懐かしさに浸った。

ところでさまざまな文章をパソコンで作り始めてほぼ30年。どっぷりとパソコンの便利さに漬かっていまさら手書きには戻れないが、時折、その便利さとの引き換えに何か取り返しのつかない大切なものを失ってしまっているのではないかという不安が頭をよぎる。

アメリカの著述家ニコラス・カーの著書『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』(青土社)には、「キーをたたくと、スクリーンに魔法のごとく文字が現れるのに慣れるにつれ、『思考を筆記体の文字へと翻訳する』能力が衰えてしまう」とする、アメリカの精神科医ノーマン・ドイジの考えを紹介している。

「書く」とは、本来、先のとがった道具で、伝えたいことを、時間をかけて「書・欠・描」き、思いや考えをつづることである。そうであれば、パソコンは文字を「書く」ではなく「打ち出す」道具である以上、ノーマンの言う、思考を文字に変える能力を衰えさせることは十分理解できる。

小学校では、3年生からPCの文字入力が指導されている。PC文字入力の便利さとの引き換えに書く能力の低下となれば、その代償はあまりにも大きい。ICTの負の側面も考慮した適切な指導を求めたい。

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