(円卓)社会の分断を広げる教育

日本博物館教育研究所理事長 小笠原喜康

かつての「新学力観」にも及んでいた新自由主義は、さまざまな格差を生み出した。中でも大量に生み出された非正規労働者は、所得格差を拡大し、日本経済の落ち込みを招いた。前政権がばらまいた異次元の金融緩和も、株式市場に吸い上げられ、企業の内部留保に回されて経済の回復に寄与していない。

新自由主義のさまざまな施策がもたらした日本社会の階級化・分断化は、一部の稼ぎ頭からのトリクルダウンを期待した。だが、それもほとんど起こらなかった。残されたのは、日本全体にまん延した将来への不安と、科学技術世界一という根拠のない妄想だけであった。

かつて日本の科学技術が世界を席巻できたのは、単に優れていたからではない。人々に寄り添った技術だったからである。妻のあかぎれを治したいと願った技術者が洗濯機を改良した。軽くて持ち運びできる音楽再生機があったらいいのに、というソニー会長の願いでウォークマンが生まれた。

逆に技術におごっての失敗もあった。日本の多機能で立派な冷蔵庫は東南アジアでまるで売れず、外国メーカーの単純で安価な冷蔵庫にぼろ負けした。人々のニーズに寄り添わないで、自分の技術に溺れた末路であった。

日本を愛したアメリカのライシャワー大使が、日本を去るときに言った言葉が思い出される。正確には覚えてはいないが、日本人のダメなところは、日本が一番と思うところだと言ったのである。

教育も同じである。世界一の学力に血眼になってしまっては、一人一人のニーズがないがしろにされる。国家が全てを決めて下ろすスタイルは、均一の大量生産時代ならばそれなりの効果が期待できたかもしれない。今はそうではない。

それにもかかわらず、相変わらず画一的な教育政策をとっているのでは、IT社会どころではない。ITは技術の問題ではない。消費者に密接に寄り添う、情報の個別ニーズ化の問題である。自分の個性を大切にする教育が、将来のIT技術者を育てるのである。プログラミング教育やIT機器中心では、失敗するのは目に見えている。

すでに分断が進んだこの社会では、とりわけ底辺の子供たちに寄り添う教育でなくてはならない。そうでなくては、さらに学力格差と社会の分断が広がるだけである。

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