(円卓)「廃用性萎縮」にならないために

清泉女子大学教職アドバイザー 榊原 博子

最近になってラジオ体操を始めた。「廃用性萎縮」を意識するような年齢になったからである。

「廃用性萎縮」とは、医学用語だ。安静状態が長期に続くことなどにより生じる、さまざまな心身の機能低下などを「廃用症候群」と言い、生活不活発病とも呼ばれる。特に、寝たきりや行き過ぎた安静状態が長く続いたりすると筋肉や関節などが萎縮するようになるが、それを「廃用性萎縮」という。

例えば、足を骨折した人がその足に治療のためギプスをする。1~2カ月したままにしていると、ギプスの中では筋肉が適切に収縮できないため、足がどんどん細くなってしまう。そのうちにうまく歩くことさえできないくらいに弱くなってしまうのである。使わなければどんどん弱くなり、役に立たなくなって、萎縮してしまうわけだ。

使わないと萎縮するのは、何も手足の筋肉だけではない。脳も同じことがいえる。齢を重ねるに従い、脳も使わなければだめになる。一生懸命考えたり、覚えたりして使わなければ、脳も萎縮してしまう。脳の場合、筋肉のように目には見えない。だからこそ知らないうちに委縮してしまっていることもあるだろう。それだけに、とても怖いと思える。脳トレが大事ではないか、と考えるようになってきた。

心も同じではないか。心は物質として存在しない、しかし、「心身を鍛える」「精神力を鍛える」という言葉があるように、心も鍛えられるものであるだろう。「頭を働かせる」ということが、いまさらながら非常に大切であり、日々取り組んでいく必要があると考える。

小さい子供は甘やかしていたら、心が育たず我慢のできない人間になってしまう。大人も心を甘やかしていたら、育つどころか、萎縮してどんどん弱くなってしまうだろう。他者への心遣いや思いやりを惜しまず、常に「心掛け」ていくことが求められる。

一方、使わなければ萎縮するということは、言い換えればつまり、使えば、鍛えればどんどん成長するということでもある。使わない期間が長い程、萎縮は進むし、意欲的に使う期間が長ければ、その分成長も進む。この年齢になっても、萎縮は嫌だ。教育に携わる者として、いつまでも成長(?)していきたいと思う。自然に逆らう無駄な抵抗かもしれないが。
ということで怠けていてはだめだと思い、積極的に頭を使い、体を動かす日々である。