(円卓)学校に世間並みの情報化を

東北大学大学院情報科学研究科・教授 堀田 龍也

コロナ禍で全国の学校が休業となった状態でスタートした2020年度。3カ月ほどかけてようやく学校が再開することとなり、多くの教師も保護者もホッとしたことだろう。

これまでの学校が完璧な教育システムであったという保証はないのにも関わらず、私たちは今までの学校の姿に戻ることで安堵しようとしている。これは、ベストの状況に戻る安心感ではなく、単に「よく知っている学校」に戻ることへの安心感ではないか。

オンライン授業は万能ではなかった。しかし、離れていてもある種の学びを提供することができ、子供と教師がつながりあうことができるということを社会に可視化してみせた。学校が再開したことを理由に、オンライン授業のこの効能を緊急時の対応だったと矮小(わいしょう)化した評価をしてはならない。

学校がオンライン授業を実施できなかった理由は、それぞれの立場でさまざまだったが、現場の教師たちの問題というより学校の設置者である教育委員会の問題が大きかった。ICT整備は、地方交付税交付金による補助のもと、設置者の義務として行われてきたが、その結果、自治体間格差は拡大の一途を辿っていた。さらに学校でしか使えない過剰な整備がなされており、その背景には情報リテラシー教育を前提にしない管理指向があった。

多くの人が所持しているスマートフォンでテレビ電話ができるこの時代に、またSNSなどで簡単にメッセージ交換ができているこの時代に、学校ではオンライン授業すらできなかったということは、一種の信用失墜を招いた。児童生徒が毎日あれだけ活用しているスマートフォンを規制し続けてきた学校は、肝心な時にオンライン授業すらできなかったという皮肉な結果となったのである。

ICTは学習の道具であると同時に、今ではクラウドも含めてインフラであり、児童生徒にとっての学習環境、教職員にとっての職場環境である。インフラが整っていない状況で働き方改革や学習改善・授業改善を行うということには無理がある。

整備が景色を変え、利用が活用になり、経験がスキルになる。児童生徒の情報活用能力が育てば、授業技術や授業設計が変化する。これが学校教育のDXである。