(円卓)コロナ禍における学び

国立教育政策研究所教育課程研究センター基礎研究部長 猿田 祐嗣

ほぼ1年前に始まった新型コロナウイルスの感染拡大は社会経済システムにさまざまなほころびをもたらし、人心を不安定にさせている。なすすべのないグローバル社会をもてあそんでいるかのようである。教育への影響も計り知れないものがあり、学校内はもちろん家庭や地域における子供たちの生活を一変させても、新型コロナウイルスの猛威は一向に収まる気配を見せない。

新型コロナウイルスと共生しなければならない社会の在り方を「ウィズコロナ社会」と称する向きもあるが、未知のウイルスも気候変動や貧困問題などと同様、人類が存続するには解決に向けて国境を越えて立ち向かわなければならない試練と再認識せざるを得ない。

人類は進化の過程で発達させた頭脳を用いて自らの能力を発展させ、生み出した知識や知恵を後世に文化という形で残した。そして、その伝承のための装置として学校という教育機関や教育制度を発達させたのである。20世紀は国同士や体制間で争い合った「戦争の世紀」と言われるが、21世紀を迎えると高度情報技術の進展により人々は国境を越えてコミュニケーションを取ることができるようになり、グローバルな問題解決の強力な手段を持つに至った。

そこに立ちはだかったのが新型コロナウイルス感染症の脅威である。わが国では高度情報社会に適応すべく学校の在り方を変革するための「GIGAスクール構想」を政府が打ち出したばかりであるが、早速オンライン授業を含めた3密を避ける対策が必要となり、これまでの学校の在り方が一変してしまった。

高度情報社会における学校や教師の役割については、各教科で「本質的な理解を通じた基盤となる資質・能力」の育成と並んで「協働学習・学び合いによる課題解決・価値創造」や「日本人としての社会性・文化的価値観の醸成」が求められているが、それらを培うための自由な対面での学習形態という従来の教育条件が崩れてしまっている。マスク越しの会話やソーシャルディスタンスを取りながらの活動という制約の中で「本来の学び」を保障できるかどうかは、はなはだ疑問である。

子供たちが何の心配もなく学ぶことができる日を1日も早く取り戻せることを願うばかりであるが、春の訪れはまだ遠そうである。