(円卓)学校への要求が過度ではないか

敬愛大学教育学部長・教授 向山行雄

緊急事態宣言の再延長。緊張の学校生活が続く。5月下旬、東京下町の女性小学校長。月末の運動会を考えると夜も眠れないと話す。今年こそ例年通りの競技を見たいと願う保護者。6年生に最後の舞台を経験させたい教師。クラスターが発生するかもしれないリスク。悩みは尽きない。

2021年3月末に公表の全国連合小学校長会研究紀要。全国の小学校753校(全国の4%を抽出)を対象に実施した調査の結果から。学校行事の実施上の課題として、64%の校長が、「実施の可否の判断が困難」との回答を寄せている。以下の回答は「実施の見通しが立たない」「実施のための内容を縮小」「実施しても3密回避が困難」などの回答となっている。「キャンセル料の支払い」という回答も百校ほどから寄せられた。

日本の学校はもともと「行事学校」。長い学期の間に適宜学校行事を設けて「学校生活に変化と秩序」をもたらす学校運営を実施してきた。それが、世界に冠たるわが国の初等教育の土台であった。しかし、コロナ禍で学校行事の乏しい「勉強学校」になった。

教師も子供も「勉強学校」で色彩の乏しい毎日を送る。心ある教師たちは、そのような状況を見て心痛める。そして、せめて例年に近い学校生活をさせてやりたいと努力する。そこには必ず外野からなにがしかの批判が届く。「クラスターが発生したらどうするの」「感染が怖いからうちの子供は行事に参加させません」……。どの声も一見正義の衣をまとう。表面上は子供を守るためという主張にも聞こえる。

教育の営みは、「20年後の握手」を目指して行われてきた。私たちの先輩は、先の大戦や重篤な災害などの困難な状況でも、その条件の中で精いっぱいの教育実践を続けてきた。そして戦後教育の大きな財産を築き上げた。現在、コロナ禍にあっても、果敢に立ち向かう教師の姿がある。心より敬意を表する。

しかし、現場教師たちはあまたの課題の前で疲弊している。メンタルヘルスに影響が出ている人も少なくない。日本の教師たちは真面目に業務に取り組む。だから、あれもこれもやろうとして、過大な業務を抱え込む。これが疲弊につながる。

医療従事者ばかりに同情が集まるが、どっこい教育従事者も同様に大変なのである。

コロナ禍が収まるまで、しばらくはさまざまな教育課題の提示を抑制することはできないか。あえて具体的な教育課題を列挙することは控える。しかし、戦後教育の最大の危機的な状況の中で、マスコミも行政も学校への要求が過度に過ぎやしないか。

(全国連合小学校長会顧問)

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