(円卓)公正に個別最適化された教育とは

大阪府立大学教授 伊井直比呂

文科省は2019年12月、「GIGAスクール構想」を発表し、さらに20年2月以降の新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休校措置を受けて、「災害や感染症の発生等による学校の臨時休業等の緊急時においても、ICTの活用により全ての子供たちの学びを保障できる環境を早急に実現する」という目的を付加した。

私は、ICT導入による学習方法の開拓は、かつてそろばんや電卓が用いられたのと同様に、もはや歴史的に必要な流れだと考えている。

その一方で、現在の学校教育の『育成』型教育に起因する諸課題を、このGIGAスクール構想は改めて浮き彫りにする。例えば、「個別最適化学習」は、「学習者の進度や理解度に応じて、個別に最適化した学習内容を提供すること」と説明され、その特徴は「各人が同時に別々の内容を学習」「個々人の学習履歴を記録」「一人一人の教育的ニーズや学習状況に応じた個別学習が可能」、また「生徒の主体的で対話的な深い学びを支援する」として、学習の方法的画一性から解放されるような感覚を持たせた。

しかし「構想」の創生にあたった経産省と内閣府の未来投資会議(20年10月廃止)は、「個別最適化」の説明として「生徒の解答内容からAIが理解度を判定し、誤答の原因と推定される単元に誘導するなど、個々の生徒にとって最適な出題をすることで一人一人の学習を助ける」(オーダーメイド型教育)ことをその意としている。

つまり、「個別最適化」は、例えば、「誤答」の原因を自らが発見するプロセスを抜かして『AIが推定する誤答の原因』に従うことが『生徒にとって最適』ということとなり、学習者が非主体的にAIに従属して学習することを意味する。

「最適」の決定者は誰なのか。つまり、国連子どもの権利委員会(Committee on the Rights of the Child)が一般意見で示した教育の国際的な原則である「全ての子どもは独自の特性、関心、能力および学習上のニーズを有している」ことや、「教育方法はさまざまな子どものさまざまなニーズに合わせて調整されるべき」とは異なった新たな方法的画一性に陥るのではないだろうか。

構想の「目的」で記される「公正に個別最適化された教育」の厳密な教育行為の内実を共有する必要があろう。

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