(円卓)子供らへのフォローを

元全国連合小学校長会長 西村佐二

 先日、近くの歴史博物館で「発掘された日本列島2021」の企画展が開催されたので出掛けた。コロナが落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、いまだ、入場者の制限、マスク着用や検温などの義務付けはあったが、久しぶりに閉じこもりがちな生活から解放されてうれしかった。その日、近辺の学校だろうか、数校の子供たちが社会科見学に訪れていたのも、ようやく学校の「日常」が戻りつつあることを実感した。

 生き物には、それぞれ種に応じた「発育限界温度」があり、その温度以上の有効温度と、有効温度の日数の積算がその種独自の一定値を超えなければ、卵からヒナがかえったり、サナギがチョウになったりはしないという(『春の数えかた』日高敏隆著、新潮社)。

 この「発育限界温度」ではないが、人間の成長においても、そのとき、ぜひ出合ったり体験したりしておかねばならないことがあって、そのときそれを逃すと後で取り戻すことが困難になるといったようなことがあるのではないか。

 例えば、乳幼児期の身近な人からの語り掛けやスキンシップが、コミュニケーション能力の基礎を形づくるように、幼児期、周りの大人との関わりや同世代との遊びなどの体験が生きる上でのさまざまな知恵を身に付けていく。もし、何らかの理由でそれらの体験がなされなければ、そこで身に付けるべき知恵は十分身に付かず、後で取り戻すことが困難なように。

 それは、学校でも同じである。学校教育は一回性と言われ、集団での学びや遊び、入学式や卒業式、宿泊を伴う学校行事などは、子供たちにとってまさに一回きりの、そのとき体験しておかねば後で取り戻すことの困難な教育活動ばかりである。にもかかわらず、コロナによる学校生活の制約は、そのとき体験しておくべきこれらの活動の一部空白を生み出し、そのことが、子供たちの成長に芳しくない影響をもたらしているのではないかと危惧している。

 コロナ禍が収束を見せ、学校も「日常化」に向けて動き始めた今、改めて、子供たち一人一人の学びや生活の実態をしっかりと見つめたい。2年近くのコロナ禍による教育活動の制約が、子供たちの健やかな成長を阻害したと思える兆候があれば、それをフォローする学校全体の取り組みが強く求められているのではなかろうか。

 

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