一般社団法人ICT CONNECT 21会長 赤堀侃司
政治と教育の世界は別だと思うが、今日のウクライナの惨状を見ると、とても平常心ではいられない。
教育でもスポーツでも「切り離して」という原則は、現状では極めて難しい。どんな事情があるにせよ、生きていれば花も実もある子供たちの未来を奪うようなことがあってはならず、世界が声を挙げて、停戦を呼び掛けなければならない。
そして、平和とは、何にも代えがたい素晴らしいことなのだ、幸せなことなのだと、多くの人が実感したのではないだろうか。人は、こんなにも残酷になれるのか、そして、こんなにも人に優しくなれるのか、と感じる。
新聞に、「この老いに春などいらぬ戦場の児等に届けん食べ物着物(星野省)」の句があったが、誰も同じ思いだろう。
テレビのニュースで、青空とヒマワリを象徴しているウクライナ国旗の青色と黄色の2色のマスクをして、大学生がウクライナの人たちへの支援を呼び掛けている光景を見た。これまで他人事であった平和を希求し、できることから応援したいという気持ちが、痛いほど分かった。
誰もが、平穏に、美しい自然を愛で、争い事のない世界でありたいと願っている。たぶん人は、残酷で冷淡な面と、美しく優しい面の両面があって、状況や環境や制度などによって、そのどちらかが出てくるのかもしれない。
私は科研費の助成を受けて、チューリングテストと呼ばれる、AIと人間の学びの違いについて研究をした。その結果、分かったことは、いかに機械は機械らしく、いかに人間は人間らしく思考するか、ということであった。
人は、時に厳しく、効率的に、利己的に、そして、時に優しく、柔軟に、美しさを求める存在であるかを、改めて知った。
ただし、教育はどんな状況にあっても、人の優しさや良さを引き出して、前向きに、絶望しないで、生きていくことを伝える営みではないか、とも思う。
平和とは、憲法に書いている程度の認識しかなかったが、人の本質は、平和でありたい、優しくありたい、美しくありたい、と願うのではないのか。
学校という場で、そのことを子供たちに伝えてほしい。戦争やコロナ禍という非常時において、教育の大切さが、身に染みる。