【連載】いつからいつまで特別支援 第5回 「学園」でイメージアップを(その③)

臨床発達心理士 池田啓史

平成9年4月、国の指導も意にかえさず、「東京都立あきる野学園」は開校しました。同じ年に、三重県立養護学校北勢きらら学園が開校しています。当時の北川知事のアイデアなのか、南大沢学園に習ったのかは、定かでありませんが、学校教育法第一条に従い、養護学校の名称を入れています。

東京都は、障がい者の教育施策については、常に国に先行してきたというプライドがありました。しばらくして、ある全国の関係者会議で国の専門官が、「最近は、養護学校の名称に○○学園といった名称の学校があるが、養護学校のイメージアップとしては望ましいことだと思う」といった発言があったということを耳にしました。私たちは、大いに憤慨しましたが、やはり、東京が国を動かしているんだと溜飲が下ったことを覚えています。

自ら開校の片棒を担いだ、「都立あきる野学園」に校長として着任したのは、開校9年目の平成17年でした。地域でも、他県にも「あきる野学園」の名称は着実に浸透していました。

校長である私が「園長先生」と呼ばれることや児童養護施設や障がい者施設と間違えられることもありましたが、私は、全国の職務を兼務していたこともあり、障がい者関係ではない会合などでは、学校紹介の冒頭で、「東京では、成城学園、玉川学園、あきる野学園と3大有名学園です」などと、受けを狙ったコメントをすることもありました。あきる野学園が教育実践も含めて、次第にブランド化しつつあるといった実感を持ちました。

平成19年、国は特殊教育から特別支援教育への転換を示しました。戦前から、障がい者の教育・福祉も施策で常に国を先行していた東京都が、初めて国に先に網を投げられた瞬間でした。

当事者であった文科省初中局特殊教育課の上月課長から校長会の代表として、施策の説明を受けた時は、少なからずショックを受けた覚えがあります。上月課長は間髪をおかず、特殊教育課を特別支援教育課に名称変更を行いました。東京は初めて、国の後塵を拝することになりました。

さて、「学園」の名称は、皮肉にも国の施策により、必ずしも特別支援学校の名称を用いなくともよいということになり、東京都では、あきる野学園を踏襲し、複数の障がい種別を併置する学校は、全て、「○○学園」とすることになりました。

そのため、併置校であった、東京初の併置校の都立町田養護学校は「都立町田の丘学園」に、都立多摩養護学校は「都立多摩桜の丘学園」(多摩学園や桜ヶ丘学園などは既にあったため、かなり苦心したようです)になりました。その後は、全国的に「学園」ブームといった状況になりました。

多くの学校が、校名変更に伴い、看板、校章、校歌の歌詞、公印、学校要覧などの変更に予算も手間もかかる中、あきる野学園は高みの見物といった状況でした。皮肉なことにその後、高等部単独校となった南大沢学園は、特別支援学校の名称を名乗ることになりました。